[NIKKEI NeT ITニュース「ネット時評 Digital Byline 200211月12日掲載]

地域情報化は国のあり方に関わる問題  國領 二郎 慶応大学教授

 地域情報化というテーマを、単に全国にブロードバンドネットワークを張り巡らせる話にしたり、自治体にLANを張って行政の効率化をはかる話に矮小化したりしたくない。この問題はもっとこの国のあり方の本質に関わる問題だと思う。

地域は自律的発展モデルを構築できるか

 問われているのは明治以来の中央集権的な構造をどのようにして分散させ、地域が自律的に発展するモデルを構築できるかという課題だろう。情報技術によって地域内外における情報交流が活性化し、現場に近い視線からのイニシアチブでそれぞれの地域が活性化し、それが全国的にネットワーク化することで国全体が栄える姿がみたい。

 日本には元来、津々浦々にさまざまな産業が発展し経済的にも政治的にも分散的な構造をしていた。それが19世紀後半に入って突然鉄製の船や、蒸気機関を使った鉄道など、第二次産業革命を経た欧米の資本集約的な産業の産物に直面した。対抗するために必要な資本蓄積が欠如している現実の中で、急速な集権化をおこない、資金的にも人的にも中央に資源を集める構造を作ってきた。大量生産型の産業を育てる上で、全国一律の教育をほどこし、共通語を普及させることも重要だった。元々あった地域の多様性を破壊しながら、大きく均質な市場と労働力を作り出してきた。

 明治初期の状況を考えると、これらの政策は恐らく正しく、その果実を今われわれが享受しているのだが、同時にそれが、中央の資源に頼らねば自らの運命を切り開けないことに焦る地方と、いつまでも「自立」しない地方に苛立つ都会という不幸な対立の構図を作り出していることも確かだろう。地方が自主性を放棄する見返りに中央から大企業の工場や公共事業を誘致したりできた時代にはかろうじて隠蔽されていた問題がいま噴出している。

明治維新との決別

 日本経済の再生を考える時に、明治以来のシステムのたがが緩んだと見て、その締め直しをはかるか、従来の仕組みに寿命がきたと見て新しい姿を求めるかが判断の分かれ目だ。筆者自身は日本が今後生きていくために地域からわき出る多様性こそが命であり、それこそが知識や文化を基盤とする高付加価値産業を育ててくれると主張したい。知識集約的産業は20世紀型の大規模生産設備を必要とせず、むしろ長い歴史に裏打ちされた伝統工芸や、変化に富み水と緑あふれる国土にはぐくまれた国民の感性の中にこそ宿る。それらをデジタルの新しい空間の中で商品やサービスやコンテンツに結びつけることで、プレミアムを取れる産業を育成していくことができる。思い切って明治維新から決別して、新しい多様性のある社会を目指したい。

 筆者の考えに同意していただけるかは別として、大きな方向性についてビジョンが見えた時に、短期的に問題となるであろう課題への取り組み方も見えてくるだろう。たとえば、津々浦々をあまねく(ユービキタスに)インターネットでカバーする目標へのアプローチだ。

地域の自主性を生かせるベストエフォート型ネット

 この件に関しては、最近大変気になっていることを指摘したい。すなわち、昨今のIP電話をめぐる流れを見ると、旧来のアナログ電話に替わって、帯域保証型のIP電話がこの国のユニバーサルサービスとして展開されようとしているように見える。これには危険な落とし穴があるように思えてならない。インターネットが自律、分散、協調型のシステムでありえたのは、単一の事業者が帯域の保証をしないベストエフォート(品質を保障しないデータ通信の方式)型のネットワークであったからで、エンドツーエンドの帯域保証を義務づけようとすると、たとえ使用するプロトコルがIPであったとしても、全国的にネットワークを張り巡らせている事業者が強くなるし、均質なシステムが展開されていなければならなくなる。このような仕組みにはほぼ間違いなく規模の経済性が生まれて、再び電電公社のような独占体が生まれることになりかねない。何より中央からのあてがいぶちのネットワークに逆戻りする。

 ベストエフォートを許容する限りにおいて、インターネットには地域が自主的にネットワークを張って、つなぎ合っていくことで大きなネットワークを形成することを許す包容力の高さがある。その自発的な構造こそがインターネットであって、IPというプロトコルを利用すれば何でもいいというものではない。次世代のユニバーサルサービスは是非とも中央からお仕着せで与えられるものではなく、地域がみずからのイニシアチブで地理的条件やニーズに合わせた仕組みを構築し、他の地域とネットワーキングを行うものとして実現したい。目指す未来の姿をみすえて賢い選択をしていきたいものである。