[NIKKEI NeT ITニュース「ネット時評 Digital Byline 2000年12月5日掲載]

 

ネットベンチャー過小評価の危険

 株価の下落なども受けて、ネットベンチャーに対する風あたりが最近きびしい。当をえた批判もあるので、過剰な反応は禁物だが、中にはやや不当なバッシングや、根本的な認識違いがあるように思える。昨年末、筆者は日本経済新聞(「経済教室」1999年12月27日)にネットベンチャーをめぐる異常な投資熱について警告を書かせていただいたのだが、今年末は過小評価の危険について語らねばならない。

■ベンチャーの重要性再認識を

 少しだけ感情を混ぜさせていただくと、昨年は未熟な芽に過度な肥料を与えて根を腐らせるようなことをしてきた社会が、株価が下がったところで今度は萌芽的な可能性に対して果敢に挑もうとする若者に対して冷笑を浴びせるようなことしかできないことにいささか憤りを感じる。どうしてこの国はあっちに振れたりこっちに振れたりバランスが悪いのだろうか?どうして芽を健全に育てて大きな果実を実らせる機会を与えられないのだろうか?

 ネットワークに対する理解も情熱もなく、お金儲けだけを考えている投資家が勝手に熱狂して、勝手に白けているだけなら放置しておけばいいが、それに振りまわされる優秀な人材の貴重な能力が無駄遣いされ、日本の構造改革が遅れていくのがもったいない。未知の可能性を追求するためにはベンチャーの役割が決定的に重要であることを再確認しなければならない。

■ネットベンチャーの失敗は早計

 もう少し冷静に語ると、淘汰期に入ったネットベンチャーを見て、ネットベンチャーが失敗だったと考えることは間違いであると指摘したい。100年前のデトロイトを振り返っても無数に誕生したベンチャー企業がさまざまな技術やビジネスの形態を試したが、その大半はつぶれるか、他社に吸収されることで消えていった。だからと言って自動車産業でベンチャーを起こすことが意味がなかったとはとても言えないし、後に何も残さなかったともとても言えない。

 重要なのは新産業の成長をライフサイクルで考えることだ。萌芽的な技術でビジネスモデルも安定していないようなビジネスについては、少し世間の常識から外れた信念を持ったアントルプレナーが小資本、小人数で機動的に動く形態が望ましい。誰も気づかなかった大きな革新をするためには、みんなが納得する会社の稟議をとおるような企画ではかえってうまくいかず、突飛とも思えるアイディアに面白がって投資してくれるエンジェルがついて、真に冒険(ベンチャー)しなければいけない。急激に変化する状況の中で軽快に対応していかなければならない。

 軽快と言いながら、もちろん遊び半分でいいわけではない。この秋に慶應義塾大学で「萌芽的な可能性を現実のものとし世の中に広める」というテーマで連続して革新的なリーダーを連続してお招きしお話を聞く機会を持ったのだが、ほとんど全ての革新者に共通していたことは、必ずしもビジネスとして見通しの持てない苦しい状況を自分の生み出している価値に対する強烈な信念によって突破してきたことである。講師のお1人の「ビジョンと価値があればビジネスモデルは後からついてくる」というセリフは鮮烈だった。(模様がオンデマンドでhttp://www.soi.wide.ad.jp/class/cgi/class_top.cgi?20000008 で見られる。)冷静に考えるとビジネスモデルがきちんとないと成功するはずがないのだが、提供価値についての信念がないとどんなビジネスにも必ずめぐってくる苦境を乗り越えられないということだろう。

■求められる育成サイクル

 局面によって事業を売却したり合併したりすることも自然なことと包容したい。ビジネスモデルが安定して動きの軽さより規模が大切になることもあるし、可能性を探って実を結ばないこともある。競争に敗れて残る資産を売却して整理することもある。日本では事業の売却を投機的に売り抜けることや、失敗することと同義であるように思う風潮がまだ残っているが、多数の新ビジネスが立上って、業界の構図がはっきりしてきた段階で集約化が起こるという現象は極めて自然であって、決して不健全なことではない。

 望ましいのは昨日のベンチャーが成熟の道を歩み出すかたわらで、新しいベンチャーがさらに未知で未開拓な可能性を目指して興るサイクルが確立することである。そのためにはもっと手前の大学で萌芽的な技術がどんどん試されるプロセスや、「突飛な」ビジネスアイディアを試行錯誤で試すプロセスや、見えてきたビジネスモデルを投資家に見せられるビジネスプランに変換するプロセスなど、しっかりとした基盤を構築していかなければいけない。後段の出来あがったビジネスに手っ取り早く投資するところばかりに目が行って、きちんと萌芽を育てる部分を怠ってきたように思う。技術者の生み出す萌芽的な可能性の中からいかなる価値を引き出してあげることができるか、社会としての力量が試されている局面だと思う。