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Competing with Free Digital Goods in Cyberspace ver.2 (読みやすく改良したつもりです)旧バージョンはこちら 國領二郎
慶應義塾大学大学院経営管理研究科
要旨:コンピュータネットワーク上には無償でのデジタル財の提供が多く見られる。無償供与についての伝統的な社会学や経済学の理論は動機に注目した分析を行う場合が多かったが、それでは説明できない商業的なベンダーによる大規模な無償提供が行われている。この論文ではその原因を主としてコスト構造に求める分析を行っている。 Summary: There is a large amount of free digital goods offered in cyberspace. Traditional analyses based on sociology and economics focused on the motive for the explanation of this phenomenon. However, these approaches seem not capable of explaining the large scale offering of free software and digital contents by large commercial vendors. This paper offers an explanation to the phenomena that employs cost structure as the primary explanatory factor.1.ネットワーク上の無償デジタル財 コンピュータ・ネットワーク上で提供される電子的な財やサービス(以後、このような電子的に流れ、経済価値を持つデジタル符合の集合をデジタル財と呼ぶ)にはその生成に多くのコストがかかり、商業的な価値を持っている場合がほとんどであるにもかかわらず、無償で提供されることが多い。また、有償をうたっていても「ただ乗り」することをあえて妨害しない商品提供の形態をとっているものも多い。その形態はさまざまなのだが、共通の原因によって無償提供という共通の結果が現われている。 動機はあえて問わない。むしろ無償提供が商業的動機と奉仕的動機の両方に基づいて増えているところに着目している。動機にいかんにかかわらず、サイバースペースには無償提供が起こりやすい環境がある。その原因を分析するのが本稿の目的である。 インターネットのホームページ上で提供されている膨大な情報を見るだけでネットワーク上に無償デジタル財が大きくなっている現象が存在すること自体は誰しも認めることであろう。例えばこの文書を書いている時点で、マイクロソフト社はインターネットのブラウザソフトを無料で提供している。自分のコンピュータをこのソフトウエアが載せられているコンピュータに通信回線で接続するだけで、物理的にはどこへも行かず入手することができる。(このようなやり方をダウンロードと呼ぶ)この手法はネットスケープ社が同じくブラウザソフトについて教育機関に対して無料での利用を認めている路線を拡大したものといえる。この二種類のソフトウエアだけでも、数千万本が使われると考えられ、非常に大きなサービスが無料で提供されていると言えよう。これが数少ない商品が多くの人間に使われている例外的な現象ではなく、提供されている種類も多いことも付記すべきだろう。http://www.vector.co.jpに見られるホームページには2万本以上のフリーウエアとシェアウエアが登録され、誰でもがダウンロードできるようになっている。 これまではダウンロード可能な応用ソフトウエアがネットワーク上の無償デジタル財の大きなものであったが、近年インターネットの登場とともに、リアルタイムにサービスをネットワーク上で提供するものが現われている。アメリカン航空などのホームページにアクセスすると、誰でも座席予約システムを利用することができ、同社の路線だけでなく世界中の航空会社を対象に、世界中の任意の二地点を結ぶルートがあるかどうかを検索させてくれる。 さらにインターネットの普及に伴って顕著に見られるのが、従来個人や小さな会社がボランティア的に提供することが多かったネットワークの無償デジタル財の領域に、大きな商業的な目的を持つ会社が参加してくるようになったことである。これは無償デジタル財という現象が単に慈善や善意でのみ提供されているのではないということを表している。 その意味で、厳密に考えた時に本稿で取り上げる商品が真に無償であるか、といえばそうでもない場合も多い。後に分析するが、無償で提供されているものの中には他の有償の商品との抱き合わせになっているものもある。また、知名度を高めることを目的に提供されるようなものも、間接的に有償であると言っても良いかもしれない。広告収入をあげることを目的とし、受益者の支払を要求していないものもある。 そのような無償性に対する疑義があることを理解した上でここでは分析対象をあえて次のように定義する。すなわち「コンピュータ・ネットワークを配送手段としているデジタル財の提供にあたって、提供者が受益者による対価の直接的な支払いを受けないまま利用することを許している事象」である。この中にはシェアウエア、つまり対価を要求はしているが、支払わなくても少なくとも一定期間利用が可能であるようなものも含まれる。ここまで定義を広げると、インターネットやパソコン通信上で提供されているソフトウエアや情報コンテンツなどはほとんど全て対象内となる。既に膨大な数が存在し、現在爆発的に増えている。 このような広い定義を取る理由は筆者が商品そのものがデジタル(つまり0か1かという記号を電子的に記録したもの)であるものはその技術的、コスト的特性から見て無償提供をしやすく、そのしやすさがゆえに複数の異なった動機に基づく商品の無償提供を促している、と考えるからである。 2.奉仕の場としてのコンピュータ・ネットワーク なぜコンピュータ・ネットワーク上では無償の財の供給が行われやすいのであろうか?理論的な説明は可能なのだろうか?てがかりはある。ネットワーク以前にも無償の財や役務提供はあったからだ。
2.1 無償供与の理論 奉仕的なサービスが提供される理論的な説明の代表的なものはBlau(1964)に代表される社会的交換の理論である。久慈(1984)に従えば財や役務供与は次の四つの形態に分けられる。
このうち社会的交換の範疇に入るものは(2)と(3)であるとされる。Blau(1964)の表現に従えば交換を基盤とした行動とは「報酬をもたらす他者の反応を条件とする行為」である。経済的取引のように事前にみかえりの契約がなされなくても、社会的に見返りを想定することが自然な局面で何かを供与することは、交換の一種であるとしているところが重要な点であろう。より現実に近いレベルにおいて日本では贈答文化が根強く存在していることはこの好例であろう。南(1994)は実証的に日本における社会的交換を分析している。 経済学的なアプローチからはBoulding(1973)が贈与を「両当事者の間に交換不能物の受け渡しはありうるにせよ、ともかく交換可能物がある一方向に受け渡しされているのに対し、それと反対の方向にはいかなる交換可能物の受け渡しもないような、二人の当事者の関係である」と定義している。まず動機は度外視して、観察可能なレベルで定義を行っているところが特徴と言っていいだろう。その上で動機が加味され、贈与は与え手がそれをもらう受け手の福祉と自分を一体視する「贈り物」と、恐怖の結果あるいは脅迫のもとで差し出される「貢ぎ物」とに分けられる。交換が相手からの見返りを受けて効用の増大をはかるもの、としているのに対し、相手の効用の増大そのものが自分の効用の増大である、としているところが大きな特徴である。 金子(1992)のボランティアをめぐる理論は、交換理論が固定的な対象物の交換を念頭においているのに対して、互恵的なインタラクションを行う過程に効用が発生し、それが誘因となって無償の財やサービスが供給される現象と解釈できる。つまり提供する人間が提供することそのものに喜びを感じ、受け手からは何も期待しない、という意味で交換理論とは一線を画すものと言ってよく、Bouldingの贈り物に近い概念と言ってよいだろう。 社会的交換、ボランティア、顧客間インタラクションに共通する一つの現象が自発性である。社会的交換と顧客間インタラクションにおいては、交換相手と事前にみかえりの契約をすることなく、相手の自発的なみかえり供与を想定して供与が行われる。ボランティアの場合には財の供与そのものが提供者の内発的な動機によって行われている。
2.2 コンピュータ・ネットワークと奉仕 社会的交換の理論、贈与の経済学などは主として、貨幣的な経済的取引から外れた場で経済価値の供与が行われる説明として使われてきた。コンピュータ・ネットワークとの関連でこれがよく取り上げられるのがボランティアの文脈においてである。コンピュータ・ネットワークがボランティア的な活動を支えるコミュニケーション手段として有効であり、ネットワーク社会が進展するとともに互恵的な奉仕による社会の構築が展望される。 デジタル財の流通について本稿の分析に大きな影響を与えた研究として、佐々木(1997)のシェアウエア分析がある。佐々木によれば1996年10月時点でニフティサーブの送金代行システムに登録されているシェアウエアだけで、約3600件ある。これは有料であるものの一部であって、完全に無料であるものの方が多いことが推定されるので、シェアウエア全体では数万から十数万本あると考えるのが自然であるように思われる。 佐々木はシェアウエアをプロセス・シェアリング・エコノミーという表現し、作者がシェアウエアを世に送り出すプロセスの「楽しさ」を対価として受ける経済として説明している。ボランティア経済の中から経済的な価値が生み出され、ネットワーク上で無償提供される現象の説明として有用なものであると考えられる。 西垣(牧野・西垣(1996))は「インターネットとは、贈与の世界」と断定し、「インターネットには贈与経済に基づく本来の姿があるのに、そこにただ乗りするような形で経済至上のビジネスネットを作ろうとするのは、少し筋違い」と表現している。確かにインターネットには他の商用ネットワークと異なり、情報を無償で公開する研究者のネットワークとして育ってきた歴史があり、このような見方をする専門家も実は少なくない。
3.商業的な意図を持った無償供与
ボランティア的な一方的恵与の世界がコンピュータ・ネットワーク上で展開されていることは事実と認めざるを得ない。そしてネットワークの発展とともに、これまでの経済の枠組みからはずれた財やサービスの供与形態が広がるという予想にも説得力がある。 面白いのはそういったボランティア的な活動とともに、ネットワークでは商業主義的な動きも高まっていることである。周知のごとくインターネット上では無数のベンチャービジネスがサービスを提供し始めている。一見営利的とは見えないネットワークの上で無償供与されているものについても、背後に極めて強い営利的な目的があるようなものも多い。この世界には、小さなベンチャーだけでなく大きな会社も多く参入している。なぜそのようなことが起こるのであろうか?以下では商業的な動機を持ちながら無償でデジタル商品を無償供与している事例を分類しつつ分析してみよう。
3.1. 抱き合わせ販売型 ソフトウエアの中には他のソフトウエアと連動してはじめて機能がフルに発揮できるタイプのものがある。この代表例がインターネットのブラウザソフト(インターネットのホームページを閲覧するためのソフトウエア)で、情報を公開しているコンピュータ(通常サイトと呼ばれる)がサーバソフトと呼ばれる情報公開用のソフトウエアを持っていることを前提としている。 このような場合、収益をあげるべき商品の販売促進のためには無料、ないしは低価格で補完財を提供することに合理性が出てくる。(財の補完性による企業行動の分析については浅羽(1995)などゲーム理論による分析が盛んである。)古典的な例がかみそり台と替え刃の関係で、いったん台の部分を販売してしまうと、替え刃に対する需要が安定的に発生するため、メーカーは台の部分を極めて安価に提供する、という行動を取る。
3.2 広告収入追求型 情報提供をおこなったり、サービスを無償で提供する場合、広告収入が目的である場合も多い。この形態のものは既に商業放送の領域で存在し、それほど新しいものとはいえないが、大衆に均一の情報を流す既存の放送に対して、コンピュータ・ネットワーク上では個人にカスタマイズした情報と広告を出すことができるところが特徴である。 上述のポイントキャスト社はインターネット上で無料の放送型の情報提供を行っていることで有名である。大きな特徴として、「視聴者」が自分の望む情報の領域(例えば特定に企業)を事前に登録しておくと、それに関する情報を抜き出して送ってくれることである。同社によれば1996年2月に開始されたサービスに対して、1997年3月時点で既に100万人を越える視聴者を誇っている。月に50程度の広告主を募り、月2万ドルから5万ドル広告料金を取っているという。同社は現在アジアへの展開を始めている。広告収入を主たる収入源とする戦略をとった時には競争戦略はより多くの視聴者に見て貰うこととなり、どれだけ良質の情報を無料で提供できるか、というところが焦点となる。
3.3 試供型 ソフトウエアは商品化してから予想しなかった問題が出る場合が多く、商品として完成するまで無料で配布し、熱心なユーザに試して貰う、ということをよく行う。いわゆるβ版と呼ばれるものである。これも昔から存在したものであるが、以前はメーカーが指定した限定されたユーザのみがこの試験に参加したものが、ネットワークの発展とともに配布のコストが下がったため、一般の人間までがβ版を手に入れられるようになってきた。さらに有償のソフトウエアの機能を削った「お試し版」が配布される場合も多い。 先にもふれたが、インターネット上にhttp://www.vector.co.jpというサイトがあり、2万件を超えるフリーウエア及びシェアウエアを紹介している。このサイトの面白いところは、ソフトウエアベンダに対して、フリーソフト配布用のサーバーを有料で提供していることである。ソフトウエアベンダがデモンストレーション用に開発したソフトを無料で潜在的な顧客に対して提供し、そのコストはベンダ側から回収する。ベンダ側からこのサイトを利用するメリットは自前でサーバを維持しなくても良い、という点と、デモストレーション用ソフトが集積しているサイトに置くことでより多くの潜在的なユーザの目に触れることである。
3.4 顧客データベース構築型 前項の「お試し版」の配布の動機が顧客データベースの作成にある場合もある。自分の名前と電子メールアドレスだけを登録すれば、ダウンロードが可能なソフトウエアをインターネット上で配布し、その後機能拡充版の勧誘電子メールをダウンロードしたユーザに送る、といった手法である。この型のものについてはデジタル商品だけでなく、物財についても同じような現象が見られる。現在インターネットの上ではプレゼントを提供するページが花盛りである。申し込んでくるユーザの顧客属性がどんどん蓄積される仕掛けだ。
4.経済空間としてのネットワーク 前節で見たようにコンピュータ・ネットワークの上では商業的な意図を持っている主体によってもデジタル財の無償供与がおこりやすい。この原因を筆者はネットワーク上のデジタル財提供に関わるコスト構造に見る。つまりサイバースペースにおいてはコスト的にデジタル財を無償供与しやすい条件があり、そのコスト構造ゆえにボランティア的な動機に基づく無償供与も商業的な動機に基づく無償供与も拡大しやすいのである。本節では経済空間としてサイバースペースがいかなる機能を持ち、その中でデジタル財の供給を行う上でのコスト構造がいかなるものかを分析する。
4.1 コンピュータ・ネットワーク空間のコスト構造 オープンなコンピュータ・ネットワークには動機のいかんに関係なく、無償でデジタル財を提供しやすくするような経済構造をしている。その要因を要約すると次の三つになる。(1)サイバースペース上におけるデジタル財の提供にあたっての変動費の低さ、(2)デジタル財を販売しようとした時の課金コストの高さ、(3)デジタル財生成にあたってのネットワーク外部性の強さ。これら三つの要因は全てデジタル財の無償供与のインセンティブを高めている、という見方である。
4.1.1 変動費の低さ デジタル財がパソコン通信やインターネット上で提供される場合の極めて大きな特徴はそれが「少なくとも提供者にとって」変動費がゼロか限りなくゼロに近い形で提供できることだ。 例えばインターネットで情報公開を行う場合、いったん自分が外から情報を取るために回線を敷設しコンピュータを設置すると、追加的な費用をほとんど必要とせずに情報提供が始められる。自分のところで設置するのが嫌で外部のレンタルサーバを借りると月数百円といったオーダーの負担で情報公開ができる。 大切なのはその後だ。このようなサーバをいったん設置すると、何人がその中から情報を取り出そうが、情報提供者側には全くコストがかからない。現実には情報を受ける側は通信コストなどの形でコストを支払っているかもしれないが、少なくとも情報提供者はいらない。この辺の構造はパソコン通信でも同じで、パソコン通信サービスのライブラリに自分の開発したデジタル財を登録すると、後は開発者の負担は全くなく、利用者がダウンロードしていく。 やや技術的になるがインターネットの場合には、利用しているTCP/IPという通信方式が変動費の小さい構造を作る要因となっている。同方式はパケット通信と呼ばれる技術の応用で、情報が小さな塊(パケットと呼ばれる)に分けられ、他の情報が流れていない空き回線容量を使って送られる。電話に代表される回線交換方式を使うと、いったんつなぐと、情報を流していようがいまいが、一定の回線容量を占有することになるのと対照的である。 両方式の優劣についてはこの論文の趣旨から外れるので避けるが、ここで関係があるのがTCP/IPを用いるインターネットにおける情報提供は稀少な資源を要求するユーザが増えてくるにつれて、一人あたりに割り当てる資源を小さくする(これは通常反応速度が下がるという形で現われる)ことで対応するため、資源の利用効率が極めて高くなるほか、ユーザ追加に伴う変動費用を非常に小さくする。 使用量に応じて定額なだけでなく、コンピュータ通信は多くの場合、通信する距離が価格と無関係である。電話などについては距離が遠くなるにつれて料金が高くなる構造があるが、インタ−ネットなどのコンピュータ・ネットワークは隣の人間に電子メ−ルを送るのも地球の裏側に送るのと同じ料金となる。 以上のように、基本的に変動費負担がデジタル財提供者にとってゼロか極めて小さいのがネットワーク上の流通空間の特徴であると言って良いだろう。価格メカニズムが限界費用を基礎としたものであるとすると、これは価格ゼロの世界、ということになる。このような費用構造の中ではいかなる経済活動が合理的なのであろうか? かねてから大規模な装置産業においては固定費が非常に大きく、変動費が小さい構造が存在した。平均費用が逓減し、市場占有率は高くなる。デジタル財の分野でも極端にマーケットシェアが高くなるものが多い。マイクロソフトの商品、かつてのネットスケープ社の商品などは代表例である。他にもインターネット関連の商品は優れた商品は極めて短期間に世界中のマーケットを席巻する傾向が見られる。 デジタル財の費用構造の性格が従来の装置産業のそれと大きく異なるのは装置産業の場合は耐用年数の長い固定資産が固定費の中心であるのに対して、デジタル財の場合には開発費がほとんどを占めるということだ。アプリケーションソフトなど機能を提供するものについては商品の寿命が極めて短い場合も多い。 費用の大半が開発費であり、それを流通させるための変動費がほとんど発生しない、という状況で選択肢にあがってくるのが、固定費部分のみを何らかのスポンサーシップでまかない、受益者には無償で提供するという方法である。無料のテレビ番組はこの代表例であろう。 より伝統的には情報という財が料金をとって提供されるようになったのは近代工業社会になってからで、印刷などの変動費を伴う媒体によって大衆に商品として提供されるようになってからだと言える。中山(1996:p.8)は著作権に関連してこのことを次のように述べている。「たとえば、源氏物語の時代においては、創作者にはパトロンがおり、創作者は複製者(当時は手書きをした者)から対価を徴収する必要性がないのみならず、むしろ他人による複製を歓迎する傾向にあった。」複製されることで多くの人間に読まれ、作者としての名声があがれば、より有力なパトロンからより多くの援助を受けられる、という構図である。写本という技術体系を前提とすると、作者にはコピーが増えることに伴う変動費はないからこれでいい。印刷ではそうはいかない。 ネットワーク上で無料情報サービス型が強いのか、有料型が強いのか、という点についてはまだ決着がついたとはいえない。無料型の強みは当然高い普及率が得られ、それによって多額の広告収入を得ることができる可能性があることである。ただし、そこにいたるまでは赤字覚悟となり、良質のサービス提供のために必要な投資ができなくなる可能性がある。 有料サービスの強みは限界利益が大きいために、いったん閾値を越えれば極めて大きな利益とキャッシュフローを確保することができ、良質のサービスが提供できるということだ。ただ、無料のサービスと有料のサービスが併存しており、その二つの質が近い場合に無償の方が有利であることは当然であり、無償デジタル財の存在によって有償デジタル財が閾値を越えることができないことも十分想定できる。 こう考えていくと、有償デジタル財が存在しうるのは、提供しているデジタル財が十分に差別化されており、同等以上の価値を持つ代替財が無償で提供されていない時に限られる、ということになる。無償のものが繁栄しやすい土壌がそこにある、といって良いだろう。
4.1.2 課金コストの高さ 無償デジタル財の存在を説明する単純にして有力な説明として、課金コストが高いから、というのがある。確かに有料にしたくても、取るべき金額に比べて課金コストが高すぎる、という問題は大きい。前項で述べたとおり、オープンなネットワークの大きな魅力は全世界に散らばった極めて大きな母集団を市場とすることができることで、既に数千万台のコンピュータ接続されているインターネットの場合、市場の数%を押さえるだけで数百万人の市場、ということになる。しかも、前項に述べた理由でデジタル財の場合は単一の商品がその商品カテゴリーの中で高いマーケットシェアを確保する場合も多い。 一億円程度の開発コストを100万人に販売することで回収しようとすると一人あたり100円程度取りたてるということになる。利益を300%取っても400円ということになる。一般的にインターネット上のデジタル財の市場は比較的小額の商品を数十万から数千万単位で販売することで成立する、と言われている。このビジョンの実現のために今最も大きな課題となっているのが、小額の金額を回収する手段に適当なものがないことである。例えばクレジットカード会社にシステムを使った場合、通信料(回線料と請求書の郵便料金)だけでも100円近くかかる計算になり、とても割に合わない。
井上(1997)は1996年にデジタルコンテンツをインターネット上で提供している会社及びその調査をしている会社二十社あまりにインタビューを行い、事業者がいかなる決済手段を求めているかを調査した。その過程で現在無償提供されているシェアウエアの多くは課金コストの問題で無料となっており、さらには本来はもっと安く提供したいと思っているソフトを課金コストに見合うようにするために金額を高く設定する傾向がある、と報告している。 このような課金の制約を大幅に緩和し、ネットワーク上の小額決済の切り札となるのではないかと期待されているのが電子マネーである。暗号技術を駆使することにより、偽造や複製を不可能にしたり、不正使用された場合に追跡が可能となるデジタル信号を貨幣として利用しようというものである。「充てん可能なプリペイドカード」と認識していただけるとここでの議論には十分である。カードが物理的に存在するのがいわゆるICカード式であり、ソフト的にハードディスク等の汎用記憶媒体に記録されるものもある。これまでのネットワーク上の課金コストの大きな部分が認証のため利用のたびに認証用ホストコンピュータに通信しなくてはならないことに伴う通信コストであったが、電子マネーはそれを通常の貨幣に換金する時までは、それ自身が貨幣であるがごとく取引主体間で移転させることができるため、コストが大幅に小さくなる。 この他にも現在、ネットワーク上の小額支払に向けた技術開発が目白押しであり、これらの小額課金の仕組みが構想通り稼動するようになると、本稿の対象としている無償デジタル財が相対的に小さな存在になることもありうる。はっきり予想できるのが、小額課金が可能になると今までにない大量の有償デジタル財供給がネットワーク上で行われるようになり、無償デジタル財が全体の中での比率を下げることである。 この可能性を認めつつ、筆者は課金コスト問題が解決した後にもデジタル財の無償供与という現象は絶対的な規模としては拡大していくのではないかと考えている。前節の変動費の低さや次節に述べるデジタル財創造におけるネットワーク外部性の存在は残るからだ。
4.1.3 デジタル財創造におけるネットワークの外部性 変動費の小ささ、課金コストの二つはともにいったん出来上がってしまったものの流通コストであるが、知識の塊というべきデジタル財には、その生成プロセスに極めて大きな特徴がある。知識とは単一の個人や組織の中で内部完結的に発生するものではなく、さまざまな人間が生んだ過去の蓄積や、組織内外の個体間情報交換プロセスを通じて価値が蓄積されていく。 Nalebuff and Brandenburger (1996)はこのプロセスを財の補完性という切り口で分析している。今日のデジタル財、例えば応用ソフトウエアは一つの会社が単独に全ての機能を提供するのではなく、いくつもの会社の製品が組み合わされて使われることで大きな機能を発揮することができるようになっている。 このプロセスを意識的に利用したといえるのが、オートデスク社のCAD(computer aided design)ソフトウエアである。同社はCADを図面ならどの業界にも共通して見られるプロセスを処理する部分(これを基本エンジンと呼ぶ)と各業界や各国の実状に合わせてカスタマイズしなければいけない部分とに構造化して、分離し、自らは基本エンジンの部分に特化して、カスタマイズ部分を基本エンジンにつなげる部分を公開することによってサードパーティのベンダが自社のエンジンを取り込んだソフトウエアを販売できるようにした。これによって目だたない会社ながら、マイクロソフト社に続く、大ソフトウエア会社に成長したのである。 このような戦略の成功に必須の要因はより多くの優秀なベンダーに自社の製品と互換性がある商品を提供して貰うことにあり、そのために必要な道具(開発ツールと呼ばれる)などは無償ないしは(無償だと無責任なベンダが現われるなら)極めて低額の料金で提供する。 筆者が顧客間インタラクションと呼ぶ現象(國領(1997))も多くの人間の知恵が相互に刺激し合い、集積するプロセスと言ってよい。森田(1997)はヒューレットパッカード社の携帯用小型コンピュータである200LXというマシンをめぐる、顧客主導の商品開発を描いている。200LXは発売当初から愛好家の中で絶大な支持を得ていたにも関わらず、メーカーの手によっては日本語化されないでいた。これに対して、ユーザーがニフティサーブ上の会議室で組織化を行いつつ、日本語化ソフトを開発し、その成果物をネットワーク上のライブラリにフリーソフトとして登録したのだ。日本語化したい愛好家たちがネットワークの上で大勢集まり、自分たちのために仕事を分担して無償で日本語化ソフトとフォント(文字の表示形式)を作り、公開してしまったのである。この成果はのちにメーカーの手によって公式化され、サポートが行われるようになった。 このように大勢の人間がネットワークの上でインタラクティブに協働作業を行い、独立しては意味を持たない作品を作りあげていくことが良くおこる。これはしばしばネットワーク上での著作物の著作権帰属問題として表面化する。中山(1996)はこの状況を以下のように記述している。
...マルチメディア時代には創作的行為のかなりの部分をコンピュータが行っており、かつグループウエアの利用の場合はそれに関与した者の範囲すら明確でないことも多くなる。結果的には著作物と等価のものが出来上がっており、それについてまったく権利を認めないというわけにいかないであろう。しかもそれらの作品が、高度に発達した通信インフラストラクチャーを介して網の目のように流通し、それが改変・利用されてさらに流通する、という状況が生ずる。ネットワークの上の会議室などで対話形式で学問上の議論が展開されることがあるが、この場合の個々の発言は概ねその発言を行った人間のものと言ってよいだろう。しかし、同時に個々の発言はそれ以前の人間の発言を受けた形で行われており、発言は文脈の中においてのみ価値が発生する場合も多い。 問題はこのような集合的な生産活動においては、成果物の所有権がはっきりしないことである。貨幣経済が所有権の確定を前提としている以上、これでは価格をつけて交換する、ということができない。従って、このようなプロセスを経て作られた知的生産物は無償公開される場合が多くなる。
4.2 ネットワーク化と市場メカニズム 以上の分析において無償のデジタル財提供が行われやすいことを示し、それが、(1)ネットワーク上のデジタル財提供にあたっての変動費の低さ、(2)課金コストの高さ、(3)デジタル財生産にあたってのネットワークの外部性、の三つの共通する要因によって引き起こされている可能性を示唆した。なぜこのような現象が起こるのかについてはこの分析である程度理解が深めることができたが、新しい状況下でどのような社会的なメカニズムが形成されるかまだ分からない。 価格をシグナルとする市場メカニズムの限界としてとらえることも可能であろう。財としての情報は価格メカニズムではどうも律しえないようだ、ということである。もとより情報が「公共財」としての性格を持ち、限界費用を基盤とする価格メカニズムに必ずしも適合していない、という認識は経済学にはかねてよりあったわけだが、現実には情報を運ぶ媒体が通常の物財と同じコスト構造をし、市場経済的に流れてきた。これが広報、取引処理、配送、決済を一貫してネットワーク上で行う電子商取引が行われるようになると、情報の本来の性格が表に出てくる。さらには情報の生産のプロセスにおける外部性も大きな要因である。 工業生産による物財供給体制においては、「売り手」と「買い手」の区分は明確であり、少数の作り手=売り手が多数の買い手に供給した。ところがデジタル財は、多くの人間の知恵が集積し、相互に影響し合いながら作られる時に大きな価値を生み出す。情報の産み出し手は、作った情報がより多くの他者の目にふれ、そのフィードバックを受けることによって財の質を高めていく。このような時に財にいちいち価格をつけ、流通を妨げることは非生産的、ということになる。これが市場主義経済の崩壊の予兆なのか、まだ解明されなければいけない課題は多い。
<参考文献> Blau, Peter M. (1964), “Exchange and Power in Social Life,” New York, John Wiley and Sons (間場寿一、居安正、塩原努訳「交換と権力」,新曜社,昭和49年) Boulding, Kenneth E. (1973), “The Economy of Love and Fear”, Belmont, Wadsworth Publishing Company (公文俊平訳「愛と恐怖の経済学」,佑学社,昭和50年) Nalebuff, Barry J., and Adam M. Brandenburger (1996), “Co-opetition,” London, Harper Collins Business 浅羽 茂(1995),「競争と協力の戦略」,有斐閣 井上義英(1996),「デジタルコンテンツプロバイダーのニーズからみた電子決済の実証研究」,慶応義塾大学ビジネススクール修士論文 金子郁容(1992),「ボランティア−もうひとつの情報社会」,岩波新書 久慈利武(1984), 「交換理論と社会学の方法」,神泉社 國領二郎(1997),「ネットワーク上の顧客間インタラクション」高木他編「マルチメディア社会システムの諸相」日科技連 佐々木裕一(1996)「シェアウェアの世界−プロセス・シェアリング・エコノミー−」,慶應義塾大学政策メディア研究科修士論文 武川善太・國領二郎 (1995), 「IGS(インターネット・碁・サーバー)」慶應義塾大学ビジネススクール事例研究 中山信弘(1996), 「マルチメディアと著作権」岩波新書 牧野昇・西垣通(1996),「インターネット社会の『正しい』読み方」,PHP研究所 南知惠子(1994),「儀礼ギフト−象徴交換と経済交換の均衡点−」、『消費者行動研究』第2巻第1号 森田正隆(1997)「HP200LX」,慶應義塾大学ビジネス・スクール事例研究 |