『信頼の構造−こころと社会の進化ゲーム』
山岸俊男(1998)
東京大学出版会
(1)信頼に関する3つのパラドックス
- 信頼が必要とされるのは社会的不確実性の大きな状況(例:レモン市場)であるという命題と、信頼の育成には社会的不確実性が存在しない環境が必要とする常識の矛盾
- 社会関係や人間関係がより安定して継続的であり、それらの関係が相互信頼によって成り立っている程度がより強いように思われる日本社会での方が、アメリカ社会でよりも、他者一般を信頼する傾向が低いというパラドックス
- 他者一般を信頼する傾向が強い人間は、騙されやすいお人好しではなく、むしろ逆に、他人が信頼できるかどうかを示唆する情報に敏感で、また他人が信頼に値する行動をとるかどうかを正確に予測する傾向があるというパラドックス
<従来の「信頼」に関する研究のレビュー>
(1)本書における「信頼」概念の整理>
- ルーマンの言う「信頼の本質は現実の複雑性の縮減にある」という立場はとらない。
- 能力に対する信頼は、本書の信頼概念から除く(しかし、従来のマーケティングにおける信頼概念の多くはここに依拠するものかもしれない)
- 安心と信頼の区別は本書における重要なポイント
(2)信頼(trust)と安心(assurance)
@「根ざしアプローチ」(信頼が究極的には相手の自己利益に根ざしているとする立場)
このアプローチは主として、経済学者および合理的選択理論の立場に立つ社会科学者(社会学者、政治学者等)により採用されている、社会科学における信頼研究の中心的なアプローチである。信頼とはカプセル入りの利益(encapsulated interest)であるとするハーディン(Hardin 1991, 1992)の考えは、このアプローチを代表するものである。すなわち「なぜ人々は信頼に値する行動をとるのか」がこの立場の中心的な問いであり、人々が信頼に値する行動をとるのは、そうすることが彼ら自身の利益になるからだという原理をその根底に持つ。
A心理学的アプローチ
「信頼は予測の終わるところから始まる」(Lewis and Weigert 1985)に代表される立場。この立場の中心的な問いは「なぜ人々は(相手の行動を予測するのに十分な情報がないにもかかわらず)他人を信頼するのか」であるが、なぜこのような信頼が存在するのかという点に関する、最終的に還元すべき規準が存在しない。従来の心理学で提供されてきた信頼の「説明原理」としては、安定して安全な環境で育つと、他人を信頼しても大丈夫だということを学習し、その信頼が一般化され、そのような環境以外の状況でも他人を信頼するようになるとされるものなどが代表的である。
- @の意味での信頼を「安心」と定義することで、前記パラドックスのa.とb.の前半部分を解決し、b.の後半とc.とを質問紙調査と実験で実証する。
(4)本書の命題:信頼の「解き放ち」理論
- 信頼は社会的不確実性が存在している状況でしか意味を持たない。つまり、他人に騙されてひどい目に遭う可能性がまったくない状況では、信頼は必要とされない。
- 社会的不確実性の生み出す問題に対処するために、人々は一般に、コミットメント関係を形成する。
- コミットメント関係は機会コストを生み出す。
- 機会コストがより大きい状況では、コミットメント関係にとどまるよりも、とどまらない方が有利である。
- 低信頼者(他人に対する信頼である一般的信頼の低い人)は、高信頼者(一般的信頼の高い人)よりも、社会的不確実性に直面した場合に、特定の相手との間にコミットメント関係を形成し維持しようとする傾向がより強い。
- 社会的不確実性と機会コストの双方が大きい状況では、高信頼者が低信頼者よりも大きな利益を得る可能性が存在する。
- 本書では以上の6命題のうち、AとDを実験によって検証し、それ以外の命題については文献サーベイから導かれる理論によって導いている。信頼に関して従来から行われてきたさまざまな研究を整理した点、命題Dを提唱した点に意義があると思われる。
以 上
(文責:澁谷覚、1998年10月4日)