小倉昌男
『経営学』日経BP社, 1999.

本書は、「宅急便」というビジネスを創造したヤマト運輸の元社長である著者が、自身の経営体験を振り返った回顧録であると同時に、「経営とはかくあるべし」という強烈なメッセージを内含した貴重な経営史料である。評者が今年(1999年)手にしたいわゆるビジネス本の中で、ダントツの一位をこの本に対して捧げたい。

本書はまず、ひとつの重要な産業の誕生と成長を記した経営史の資料として読むことができる。宅急便は1976年2月にサービスを開始した。経済のサービス化、消費者主権の流れに乗ったものとはいえ、1960年代に高度成長とともに横並びで拡大した産業とは根本的に性格が異なる。内外価格差の議論では、海外においても価格競争力がある貿易財と比べて、高コスト体質で非効率な非貿易財、とくに国内のサービス産業が槍玉に上がる。しかし、宅急便という事業においては、徹底して効率的で、なおかつ顧客志向のシステムが構築されている。しかも、いまや宅急便というサービスは小口物流のプラットフォームとも呼べる存在であり、この存在がなかりせば、通信販売やギフトに代表される小口の荷物を大量にやり取りする産業は今よりももっと競争制限的なものとなってしまったことであろう。このように他産業の成り立ちにも強い影響力を及ぼしている重要なサービスの一つがどのようにして創造されて、そして発展してきたのか。このような経営史的な興味からもこの著作の重要性が浮かび上がってくる。

そして、宅急便という事業創造は単に偶然や自然淘汰によってもたらされたものではなく、そこにはシステムの設計者として自覚的に采配を振るった「意思を持った存在」としての経営者の姿がある。そこで、ビジネス・システム論の視点からは、この本はビジネスにおける全体システムのアーキテクチャを設計していく上での経営者の意図や彼が抱えた課題について記述した「突出した事例」として読み解くこともできる。全体システムの設計者は近視眼的な利益にまどわされたり、部分最適の罠に陥ってはならない。また、常識や既存の仕組みにとらわれるあまりに、小手先の改善のみに目が向くようでは彼に与えられた役目が果たせない。一例をあげよう。著者は、それまでバラバラに積み込んでいた荷物をすべて車輪の付いた箱型のパレット(ロールボックス・パレット)に入れて、保管、荷役、輸送をおこなうことにした。これによって全体システムが次のように劇的に変化したのである。

この方式は、積載効率の点から眺めると、一見、非合理的な側面があった。というのも、ひとつひとつの荷物をこのロールボックスに入れてトレーラーに積み込むと、ボックスの上下左右に隙間ができるため、トレーラー一台当たりの積載量は容積率で七〇%前後に落ちてしまうのだ。(中略)たしかに輸送効率だけを考えるとこの方式には無駄が多すぎるように見える。だが、トレーラーにボックスを八台ずつ二列に十六個積むこの方式では、積み下ろしはわずか五分で全部済んでしまう。積み下ろしの二時間半が五分になり、人件費が大幅に節約されるメリットを考えると、積載率が七〇%に落ちることなど問題ではなかった。(pp. 43-44)

また、著者は何度も「サービスが先、利益は後(p. 131)」ということを従業員に強調したと言う。ひとりひとりの人間に「サービスもがんばれ、利益も大事だ」というようにトレードオフが生じる目標を複数与えると、いたずらにシステムは複雑になり、運営も難しくなる。ところが、サービスがよくなれば後から利益がついてくると考えることによって「これからは収支のことは一切言わない。その代わりサービスのことは厳しく追求する(p. 133)」というように割り切ってしまえば、目標や評価基準はシンプルになり、システムを流れる情報も単純化され、各サブシステム毎の役割分担も明快になる。これもまたシステム志向である。

さらに、本書は組織論の視点から読むこともできる。顧客と直接接する現場がやる気を出さなければ、サービスは向上しない。しかし、「人間は基本的に、細かく指示されると不愉快になり、任されて自主的にやらせてもらうと気持ちが良い(p. 190)」。そこで、経営の目的や目標は明確に示すが、仕事のやり方は基本的に社員に任せ、自分の仕事には自分自身が責任をもって当たらせるという「全員経営」の方針を著者は打ち出した。そして、その「全員経営」を遂行するために、著者は年功序列を排し、社員の能力を重視かつ評価するとともに、社内のコミュニケーションが中間管理者によって阻害されないよう管理階層をフラットにしていったのである。

本書がさまざまな視角から読み解くことができること、それに耐えうるだけの中身をもっていることを論じてきたが、上記で紹介した以外にも、新商品・新サービスの開発および展開といったベンチャー論、顧客ニーズに合致するよう創意工夫をこらして独自の事業を創造していく業態論としても光を放っている。ビジネスマン、学生、そして学者にとっても一読の価値がある文献である。

以上

(文責:森田正隆、1999年12月2日)