Krugman, Paul
"The Self-Organizing Economy," Blackwell, 1996.
(邦訳:北村行伸・妹尾美起『自己組織化の経済学』東洋経済新報社, 1997.)

本書は、経済学界において常に切れ味の鋭い発言で知られる著者が正面から「複雑系」に取り組んだ小気味のいい読み物である。もともとが講義録であるので、直観的で平易な表現を多用しており、そのため広く一般の読み手にも受け入れられるであろう。

著者が本書で提示するのは、複雑系研究から生まれてきたいくつかの概念を経済学に応用しようという意欲的な試みである。複雑系研究を無邪気に礼賛するのではなく、また吟味もせずして拒絶するのでもなく、冷静に検証しながらも積極的に成果を取り入れようという著者のアプローチを追いかけていくことによって、読者は複雑系の可能性と(現時点での)限界に迫ることができるだろう。

著者が定義する複雑系研究の定義は三点である。(1)複雑なフィードバック・システムが驚くべき振る舞いをするという洞察に基づいていること、(2)創発の科学であること、(3)「自己組織化システム」としてとらえることである。

(1) 複雑なフィードバック・システム

複雑系では、ネガティブ・フィードバック(例:遠心力)とポジティブ・フィードバック(例:求心力)が拮抗する可能性を持っており、不安定な均衡状態から予想外の振る舞いが起きる原因となりうる。

(2) 創発の科学

個体の行動が相互に作用するような集合体になったとき、それぞれの個体の行動を単純に拡大して考えられるものとは異なった集合的行動を見せること。競争市場では、各個人が自分の利益を最大化するためだけに努力しているにもかかわらず、市場参加者が集団的に消費者余剰と生産者余剰の合計を最大化しているかのごとく行動しているという例が挙げられる。

(3) 自己組織化システム

当初、ほとんど均質の状態かあるいはほとんどランダムな状態から、やがて大規模なパターンを形成するということ。

本書では、上記の定義にもとづく複雑系システムを自己組織化に焦点をあてて解説している。自己組織化モデルの基盤となる原理には二つあり、それは「不安定から生じる秩序」と「ランダムな成長から生じる秩序」である。

(1) 不安定から生じる秩序

均等なあるいは無秩序な構造が不安定であるようなシステムから秩序が自発的に創発するということ。
シェリングの分離モデルの例。ランダムに分布した二つの人種が、近隣者の人種割合にもとづき定住場所を決定するという動機をもつと仮定した場合、局部のささいな変動が全地域における人種分離に波及するという例。

(2) ランダムな成長から生じる秩序

期待成長率が規模と無関係であり、実際の成長率がランダムであるような成長過程があると、事象の規模分布はベキ乗則に従う。
サイモンの都市発展モデルの例。都市の人口規模は都市の規模別順位に反比例するという経験則のモデルによる証明。

サイモンらがかつて喝破したように「全体は部分の合計以上のものである」という概念がシステム設計の基礎であり、これは本書で紹介する複雑系研究でも同様のことがいえよう。つまり、全体をシステムとして分析する際には、要素還元主義では本質を見誤る可能性が高いということである。一方で、個々の人間が有する認知能力の限界から、複雑なシステムは階層化してサブシステム毎に把握していかざるを得ない。よって、「全体としてのシステムを定義すべきであるのに、あまりに複雑すぎてそれができない」という壁にぶつかることとなる。そこで、複雑系研究がわれわれを勇気づけてくれるのは、サブシステムあるいは個体間のフィードバック・システムを動的に分析することによってシステム全体の秩序把握に近づいていける可能性があるということである。少なくとも私自身についての本書の貢献はその部分にある。

以上

(文責:森田 正隆, 1998年6月24日)