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名和小太郎『サイバースペースの著作権』中央公論社, 1996年 |
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●要旨(章ごとの本文の参照を中心に) |
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★著作権とは何か ●情報財と著作権制度 情報はだれにも占有できない。そして、 ・情報は手元にコピーを残しながら、ほとんど費用ゼロでさらなるコピーを他人に渡すことが可能 ・流通されてしまえば、だれもが利用することができ、使用料を取り立てることが不可能 という公共財的な性質をもつ。このような情報財を商品として取引するためには、私有財産として位置づけなければならない。したがって人為的なルールとして人びとに強制しなければならず、このシステムが著作権制度である(p.4を参照)。 ●ベルヌ条約における著作権制度 ベルヌ条約では保護を受ける著作物として言語と美術の著作物をあげ、表現の方法や形式のいかんを問わず、書籍、演劇、楽曲、映画、絵画、写真、応用美術、地図、図面、模型などのような言語、学術と美術の範囲に属するすべての制作物を含むと定義している(p.6を参照)。 ●著作権の構成 著作権は、著作者人格権と財産権から構成されている。人格権の中で最も重要な権利は同一性保持権であり、「著作物の変更、切除などの改変で、自己の名誉や声望を害するおそれのあるものに対して、異議を申し立てる権利」。財産権とは、「権利の束」。著作者が享受できる排他的権利である。ベルヌ条約は、当初は翻訳権と公衆への上演、演奏権とを設けているに過ぎなかったが、メディアの発展とともに拡張され、1908年にはレコード化権と映画権、1928年にはラジオの放送権、1948年にはテレヴィジョン放送権とトーキー映画化権、1967年には複製権を認めた(p.7を参照)。 ★デジタル信号になった著作物 ●ディジタル化の特徴 第一にコピーをしやすく、操作と改変をしやすいこと。第二にそのままでは不可視であること、第三に多数者間で送受信しやすいこと(p.19を参照)。 ●ネットワーク上の著作物への対応 ベルヌ条約には通信への言及がない。頒布[「著作物のコピーを、主として適当な商業的なチャネルを通じて、公衆か、その一部に提供すること」(p.55)]という解釈では、ベルヌ条約は頒布権を映画にしか認めておらず、そもそもビデオカセット等の有体物を対象にしているために適用が困難。貸与権[「一定期間にわたり、直接的、間接的に経済的、商業的な利益のために使用可能にすること」(p.56)]という概念でコントロールすべきという意見もある。ベルヌ条約が示している「公衆への通信」権[「著作物、実演、レコード、放送を、適当な方法で公衆に認知できるようにすること。この概念は有線による公衆への通信を含む」(p.57)]という概念を利用する意見があるが、電子掲示板では「公衆への通信」という解釈が難しい。複製権[「著作物の全体、またはその実質的な部分について、そのコピーを一部以上作ること。それはどんな素材形式でもよく、録音と録画を含む」(p.58)]を採用してしまえば、複製権に頒布という概念は含まれておらず、一緒してしまうと著作者はいままで2つ行使してきた権利が1つになり不利になってしまう。日本では「送信権」[「公衆によって直接受信されることを目的とした有線電気通信の送信」(p58)]の新設によってネットワーク上の著作物を保護しようとする主張がある。しかし、ここには、インターネットの必然でもある「私的使用」と「双方向」という概念がない(pp.54-58を参照)。 ★非芸術的作品の著作物 ●著作権法の保護の対象 著作物の対象は広い。楽曲、絵画等の芸術的作品、地図等の事実的作品、プログラムのような機能的作品があり、性格が違えば、価値も異なる。著作物は、「表現」+「X」で表現することができる。この場合、「X」はアイディアであったり、データであったり、アルゴリズムであり性格によって異なる。著作権法は著作物の「表現」のみを保護し、「X」を保護しない。「X」は、先行者が権利として独占してしまうと後続の活動が不当に制限されてしまう。問題は、「表現」と「X」をはっきりと区別できないことである。事実的作品であればデータベース化(電話帳のデータベース化)、機能的作品であれば標準化(リヴァース・エンジニアリング)、芸術的作品であればパロディ化という行為が区別を曖昧にしてしまう(pp.60-62を参照)。 ★著作者になった機械 ●人格権 ディジタル技術の発達によって、オリジナル作品は再編集が簡単にできるようになる。これによって著作物の単位や同一性はあいまいになる。ベルヌ条約における著作者人格権は、 ・著作者の著作物であることを主張する権利(氏名表示権) ・著作物の変更、切除その他の改変で、または著作物に対するその他の侵害で、自己の名誉または声望を害するおそれのあるものに対して、意義を申し立てる権利(同一性保持権) である。そして、人格権は一身専属性、譲渡不可性で市場で取引することができない(pp.100-101を参照)。そして、「伝統的な著作者は、ディジタル技術がもたらす巨大な市場をまえにして、自分の著作物について、その同一性保持権を守るか、あるいは、そのユーザーと財産価値の拡大をはかるか、どちらかの選択を迫られること」(p.114)になっているのが現状である。 ★国境を越える著作物 ●インターネット時代の著作権の国際化 インターネット・コミュニティにおいてはもともと国境もないため、もっとも活発な著作権ビジネスをもつ国の制度が、事実上の標準として全地球的に普及してしまうだろう。したがって、発信国主義も受信国主義も意味がなくなってしまう可能性がある(p.139を参照)。 ★仮想化する著作権料 ●著作権料の矛盾 そもそも著作権料は個々の権利者が個々の使用者から取引ごとに徴収するのが筋である。しかし、報酬という概念が著作権法に持ち込まれ、著作権料は使用者からの一括徴収、権利者への一括配布というシステムになった。ユーザーは著作物を使おうと使うまいと、録音機器や生テープを購入すれば著作権料という課金を必ず支払わなければならなくなった。基準金額は、[「コピー実績」=「コピー製品の出荷数」](p.156)という計算式で産出され、著作権の本来の理念から外れてしまった(pp.154-156を参照)。 ★脱著作権論 ●コピーの権利から使用の権利へ 電子的な著作権管理システム(ECMS)には、権利者団体相互間の権利情報交換システム、エンドユーザーまで囲い込んだ著作物の取引・決済システムの2種類がある。後者は、伝統的な著作権制度はそのままで、それをバイパスして独立の制度をつくろうという実用的な方針をとっており、実現可能性は高い(p.168を参照)。 ★二十一世紀の著作権 ●ディジタル著作物の未来 過去、著作権法はさまざまなメディアに対応しながら、ほころびが出てきた。現行制度はディジタル著作物に対応しようとしていが、著作物の定義や人格権、頒布権について大幅な概念の変更を迫られるだろう。インターネットの時代には、多くの個人ユーザーも参入し、彼等のコントロールは不可能であるし、彼らの価値観と能力を無視して新しい制度をつくることはできない。今後ディジタル著作権保護のためには、「リスクを恐れない事業家の精神と自主的な業界ルールとこれらを支える技術、およびユーザーの性善説的な倫理観」(p.184)を冷静に理解しなければならない(pp.182-184を参照)。 |
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●コメント |
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本書は、豊富な事例をもとにメディアと著作権に関してのプロセスを看過し、インターネット時代における著作権に関する課題を抽出し、これからの対応を提示したもので、情報に関わる全ての人が読むべき書籍であろう。 情報財の特性とインターネットの普及は、それぞれが相互補完的になり、現行の著作権制度の矛盾をあらわにしてきた。そのための法的制度も徐々に整ってきており、今後は著作者の権益の保護と、利用者の権利との間での議論が活発になっていく。名和は、インターネット・コミュニティにおいてはもともと国境もないため、「もっとも活発な著作権ビジネスをもつ国の制度が、事実上の標準として全地球的に普及してしまうことになるだろう」(p.139)と述べているが、制度の標準化が文化の多様性を排除することのないように私たちは議論をしていかなければならない。著作物はそもそも人間の文化の上に存在するものであり、インターネットが様々な文化との相互理解を実現しつつ、多種多様な制度が共存できる社会の構築を実現すべきであろう。 |
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飯盛義徳(2002年6月3日) |