國領二郎のアメリカ滞在日記 Last updated : 07/30/1999 |
IFAN発起人の國領二郎が慶応義塾とミネソタ大学の研究員交換プログラムでミネアポリスにある同大学Carlson School of Managementに派遣されました。これを機にアメリカの田舎の大学から見るアメリカの情報化の風景を日記風に書いてみたいと思います。忙しくなってきた時にどれくらい続くかやや疑問ですが...やってみます。 |
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1999年7月30日(金) あと数時間で日本に帰る。 東京の日常を離れてミネソタにこられたのは本当に良かった。時間もありがたいし、資金的な援助もとてもありがたかった。お世話になった方々に心からお礼を申し上げます。 ミネソタ日記もこれでおしまいです。 この日記もおもいがけず多くの方に読んでいただき、とても光栄に思っています。 1999年7月29日(木) 早起きしてアパートに行き、空け渡し作業。もう大丈夫と思いつつ見まわる度にいろいろ出てきて、結構大変だった。日本人がとてもめずらしい、といった土地なので、次に来る人が迷惑しないようにと床磨きしたり普段では滅多にしないことをやった。こういうところに来ると日本人のアイデンティティが出てくる。このままアメリカにいる方が生活もずっといいし、学問的にも面白いことができるし、いいことばかりなんだけど、僕の日本に対するこだわりは自分で考えても変だなぁ。まぁこういうのは理屈じゃないか。やれるところまで日本を良くすることを考えよう。 学校に行って「ありがとう、さよなら」メールを送ったら、次々と人が現れて一日いろいろ歓談。今ごろになってあれやろうとかこれやろうとか話も出てきた。 1999年7月28日(水) レンタル家具屋さんが引き取りにくる。CATV会社もセットトップボックスを引き取りにくるはずになっていたのに待ちぼうけをくった。不正使用をふせぎたいらしくて、セットトップボックスを直接受け取ることにこだわっていた割にはいい加減だ。ケーブルモデムは非常に有力なローカルアクセスの競争候補なのだが、いかんせんケーブルテレビ自体が独占体質でサービスが悪い。 Wanninger 教授と移動体電子商取引の可能性についてしばらく議論。だいぶ頭が整理できてきた。遠隔授業を共同でやる話にもなった。その後Chakravarthy教授。帰る直前になって会う話が増えてきた。 ホテルに移動。 1999年7月27日(火) ミネソタ滞在もあと三泊。 Davis 先生に帰国前の挨拶。最後に研究センターを設立する奥義についていろいろ教えていただいた。この件についてはDavis先生以上のアドバイザーはいないだろう。ミネソタ大学のMISRCは我々の研究領域が成立する上で決定的な意味を持った。研究者の名簿を作り、学会をスタートさせ、学会誌を発刊し、大量の研究者を育てた。この場から育った人間が全米に散っていまの経営情報システム研究の核になったと言っていいだろう。 研究センターを立ち上げ運営する上で矛盾しがちな短期的アウトプットを求めるスポンサーのニーズと研究基盤の整備(基本的な文献の蓄積体系化、研究者ネットワークの構築、そして何より若手研究者の育成)などに緊急のニーズを感じている我々とのギャップをどう埋めるかについていろいろやり取りする。この二つは本当は矛盾しないはずで、緊急経済対策や電子商取引サイト立ち上げの緊急計画を立てるような時にどれくらい質の高いものが出せるかは、どれくらい基礎情報が整備され、どれくらい基礎訓練(基本的な文献をきちんと読み、多くの事例やデータを分析する)をこなした人間がいるかにかかっており、基礎体力もない時に1週間や10日程度のダッシュでいいものができるわけがない。短期でいいアウトプットを出すためにのきちんと基礎体力をつけなければいけない。そのためにも博士課程の充実が何より大切、というところでも Davis教授と一致した。 博士課程充実のためには博士課程に進む人のキャリアパスを確立することも大事だと認識が一致した。いま日本の現状は情報というと工学イメージ、経営というと文系イメージで経営情報システムを修得した人間の収まりどころがなかなか難しい。いま育てている人材が世の中に散っていくことで考え方も市場も拡大するのだろうが、彼らにはパイオニアとしての負担がかかっており、申し訳がない。 Wanninger教授と今後の研究上の協力などについて話し合う。お互い時間切れになってしまい、もう一度話そうということになった。 帰宅したら町のお知らせが入ってきて、多チャンネル化とインターネットサービスがこの町にも来るとのこと。ローカルアクセスをめぐる競争はいよいよ本格化してきている。ADSLを使うのも今日が最後。 毎日どんどん日が短くなっていく。猛暑なのだが北国に冬が忍び足で近づいている。レンタルしていた家具やタオル・シーツ類をかえす準備。せっせと洗濯してたら洗剤がなくなった。大量に余ったシャンプーを使ってみる...あんまりきれいにならない。あいかわらず大量のものを捨てるのに罪悪感。地球に申し訳ない。ネットワークを活用して、良いものを作ってリサイクルしながら大切に使うことが企業にとってももうかるようなビジネス・モデルを作りたい。「製造」業という作るのが使命であるような名前をやめて、「物財サービス業」みたいな名前にしたらどうかなぁ。豆もあきてきた... 1999年7月26日(月) 週末に現在居住している町の市外番号が変更になるというニュースが流れた。携帯電話に固定電話と同じ市外局番をふっているために番号不足になるという現象が多発しており、アメリカ中大混乱だ。番号不足のために体系も完全にくずれており、どうなるのかしら。恐らくそのうち地域によって番号をふるという考え方そのものがなくなるのだろうとは思うが...しばらくは混乱だろうなぁ。 ついでに書いておこう。めだたないが、ケーブルアクセスをめぐる連邦(FCC)と市・郡のケーブル・コミッションのつばぜり合いも注目に値するように思う。AT&Tのメディアワン買収を認めるにあたって、他のISPにオープンアクセスさせることを条件とするかしないか?単なる役所間の権力争いがこの題材をめぐって行われているだけなのだが、これがどちらで決着するのかは中期的に大きな意味を持つと思う。今日はサンフランシスコ市で決議があるとのこと。 AT&Tが携帯電話にも定額制を導入して、爆発的に伸びているという記事も出ていた。結果としてつながりにくくなっているらしい。急いで投資しないといけない。問題はそれで採算がとれるかだが、今般の地域電話会社の業績の好調さを見るとだいじょうぶだろうと思う。インターネット需要が回線の増設ラッシュを生み出している。ただしケーブルも含めて全てはキャッシュフローの体力勝負になってきており、大きな会社でないと競争できない傾向はますます強まっているように思う。 昼、Korea Universityから戦略部門に訪問教授しているMoon教授と昼食。日韓の組織の変貌について意見交換をした。世代間に利害のコンフリクトがあって、既存企業の改革が遅れていることなどに観察が一致した。ブルーカラーの将来をどのように考えればいいのかが大きな課題だという認識も一致した。 1999年7月25日(日) 家族がいなくなり、一人で家を空けるための作業を進める。たった6ヶ月いただけだし、かなり送り出してしまったはずなのにやってもやってもモノが出てくる。小さな家具を救世軍に寄付したり、植物を友人に進呈したりずいぶんやったが、それでも捨てないといけないものが多い。普段捨てることにあまり抵抗感がない方なのだが、それにしてももったいないし、環境にも申し訳ない...ほとんどなくなっていると思っていた食料もいざとなると沢山残っている。缶詰スープを空けて残った豆や米を投げ入れてせっせと消費する。豆というのは偉大なものだと思う。ほんの少しだけで何日もおなかいっぱいにしてくれる。あとは野菜ジュースと果物とヨーグルト。割と健康的な食生活かもしれない。 ちなみにMailBoxesETCのお店が近所にあったのはとても助かった。荷物の送り出しにも使えたし、今後の郵便物を日本に転送するサービスもしてくれる。FEDEX、 UPS、郵便局全ての代理をやってる。梱包せずに物を持って行くと箱詰めからやってくれる。名前の通り私書箱業が柱のひとつなので、小企業の郵便の受け取り、送り出しもしてくれる。これから SOHOなどを育てるためにはこんなインフラも充実することが必要だろう。 1999年7月23日(金) 看護学で北海道のとある大学の博士課程の立ち上げにあたって教授をやりにいくという方が日本の様子を知りたいということで食事を一緒にする。恐らく日本には学科を立ち上げるだけの資格をもっている教授が少なくて招聘されたということだと思うが、文部省に提出する書類に付き合わせられた話をうかがって、本当に申し訳なくなった。形式的な整合性ばかりのようだ。これでは新しい領域を開拓することなどできっこない。大学の設置についても事前審査ではなく、自由に開設し、事後のアセスメントをきちんとする時代が来ているのだろう。 1999年7月22日(木) 博士課程生と恒例の打ち合わせ。どんなモデルを作ってどのような説明変数を候補とするか打ち合わせ。夜、Sal March教授のお宅に招待していただいて歓談。 1999年7月21日(水) 家族が帰国。予定より遅れたので学校にいくのはやめて家の後片付け。 1999年7月20日(火) 引越し作業。夜、娘の友達3人とその家族が遊びに来てくれた。娘のおかげで今回はずいぶん地域社会と接触した。 1999年7月19日(月) 本日で40才になりました... 午前、帰国のための引越しの作業。カナダで慣れない乗馬などをしたので、体が痛い...こちらで買った小道具で日本に持って帰らないものを博士課程の人などに進呈。結果的にあちこちでおしゃべりすることに。生活や将来の不安と闘いながら一生懸命研究をし、教育の訓練を受けてる彼らは本当に美しいと思う。大学の実力は博士課程に依存すると改めて思った。 1999年7月15日(木) 少し長めの週末をカナダで過ごさせていただくために出発。 1999年7月14日(水) 秋に出版するつもりの本の第八稿を作ってフィードバックして下さる方々に送る。始めた時にはこれほど難産になるとは夢にも思わなかった...読み直す度に古くなってしまったところや気に入らないところができて、そこに手を入れているうちに他とのバランスが崩れる...でもやっとサプライ側と顧客側の変化をひとつのフレームワークの上にのせることに成功したように思う。もう出さないと。 1999年7月13日(火) 朝、友人に連れられて湖でボート遊び。風が気持いい。急いで学校に向かって恒例の博士課程学生との打ち合わせ。データ収集活動を日本に移す体制がほぼ出来上がった。 1999年7月12日(月) 帰国のための船便を出すための整理を始める。研究室にある本を家に持ってかえりながらHagel, John III and Marc Singer (1999) Net Worth, Harvard Business School Pressを読み返す。前著Net Gainに比べてぐっとビジネスよりに戻している。プライバシーがドライバになってInfomediaryの役割が増大することなどはうなずける。Consumerのagentとしてのinfomediary。すっきりわかる。漠としか分からなかった communityとビジネスモデルの関係もだいぶわかってきた。但しこの本では communityはほとんど出てこない。意図的に遠ざかろうとしていると思われる。こうしたい気持もよく分かる。 1999年7月9日(金) 人に会ったり、セミナーに出てインプットする機会が減ってきたので、少し読む量を増やそうと思う。ここではhttp://www.kbs.keio.ac.jp/kokuryolab/ecrp/topic-s/bs/「とにかくリストアップ」に紹介する価値のあるものを書きとめておきたい。今日は Standage, Tom (1998), The Victorian Internet, Walkerを読み終わった。電信の歴史をインターネットに対比させながら書いている。確かにインターネットは電話よりも電信の方に向いている。実用的に成功したのは1844年に過ぎないシステムが1858年には大西洋横断ケーブルとなり、アレキサンドリアに1868年、日本には1870年に到達。相互接続が問題となり、暗号と安全保障が懸案となり、新聞はもう終わりになると言われた... 1999年7月8日(木) 午前中、北海道の某大学を訪問し、情報教育のセミナーをやるという方がいらしていろいろお話をする。ソフトの互換性など細かい話が多かったが、あらためてまだ使いにくい道具だなと思った。もっと全然意識しないですむようにならないものか。 昼、長らくすれ違っていた所属するInformation and Decision Science部門長のCarl Adams先生とのお昼御飯。単刀直入に「私にどんなアドバイスがあるかな」とのご下問から会話が始まる。ビジネススクールの情報システム部門は企業の情報システム部門を相手にすべきなのか?それともマーケティング?トップ?学校側の組織が企業の機能部門に合わせて作られているときに、電子商取引のようなテーマを情報部門が扱うと、マーケティング部門や戦略部門とコンフリクトを起こす。(この辺は身につまされるなぁ。) 電子商取引というのが、研究・教育部門として独立させるべきものなのか、他の部門の中にあるべきものなのか、という議論もした。Vanderbilt大学、テキサス大学、カーネギーメロン、デュークなどがかなり大規模に電子商取引研究施設や教育プログラムの拡充を行っている時に、ミネソタはどうすればいいのか?そもそも電子商取引というのは革命なのか、単なるチャネルが一つ増えただけなのか?(1)単にチャネルが増えるなどというものではなく、ビジネスのアーキテクチャが大幅に変わる話なので、従来の領域を越えた取り組みが必要になる、(2)ただし、電子商取引という枠組は長く持つものではなく、移行する数年の間だけ意味を持つものだろう、(3)この数年の間に全校的な取り組みとして領域をまたがった横断的バーチャル組織を作って集中的に資源を投入してメカニズムを解明すべきだろう、と答えておいた。そこで浮かび上がってくる新しい価値生産のアーキテクチャの姿に従って企業の組織やビジネススクールの構造も定義されてくるのだろうと思う。 1999年7月6日(火) 博士課程生と打ち合わせ。データ収集を日本のアシスタントに引継ぎ、彼女とはデータ分析方法と理論構築を行うことにする。せっかく作業してもらったので、彼女にも論文を書いてほしい。軽く分析してなるほどと思ったのだが、個人が中古品を売る場合、ネットで競売にかけると通常の買取店にいくのの70%くらい高く売れる。売値は販売店の10%引き程度、それほど安くもない。これは今後の電子商取引のビジネス・モデルの構築方法に深遠なインプリケーションがあるのではないだろうか? 先週トヨタさんから研究室に送っていただいたファクスが今日になっててもとに届く。ホンダさんからも横浜の研究室に電話があった模様。isizeさんが取次いで下さったと思われる。やはりメールはいただけなかった。おーいクリオの方かビスタの方、誰かメールで相手してくださーい。別にそんなむちゃくちゃ安くなくていいし、テリトリー制を崩す気もありませんので... 1999年7月5日(月) 独立記念日の振り替え休日。滞在先そばのKnife Riverが増水してすごい。 1999年7月4日(日) 独立記念日をスーペリア湖のそばの友人の家を借りてすごす。夜花火を見にいったら、稲妻も沢山光ってすごい夜だった。 1999年7月2日(金) 独立記念日の週末で学校の人達もあまり仕事をする体制にない。私も唯一アポが入っていた先生にまちぼうけをくらった。久しぶりにしばらく静かに原稿書き。途中で何度か人がドアをノックして用事を話しにくる。ちょうどいい気晴らし。この半年で結構浸透できた。 残る膨大な作業に7月中にできるのか心配。 横浜の研究室にトヨタの販売店さんから電話があったとのこと。見積りをファクスして下さったらしい。ただ定価で値引きなどのご相談は後日とのこと。もう一台候補としたホンダさんにisize経由で見積りをお願いする。実はある別のサイト経由でもお願いしたのだが返事がこない。 1999年7月1日(木) たまっていた私用をいろいろ処理させていただいた。 トヨタさんから返事。やはり販売店にはメールでは連絡がとれないとのこと。思うのだが、全ての販売店にネット対応をお願いするより、ネットをテリトリーとするネット店をお作りになった方がいいのでは。しかたないのでファクスでトヨタさんに商談のご相談を入れる。 1999年6月30日(水) 走りまわった6月が終わってひといき。やることがたまっている。7月は少し大人しくして、たまりにたまった作業や、これまで聞いた話や集めたデータをちゃんと体系化しないといけない。時間が限られているので手際よくやらねば。 ネットで見積りをお願いしたトヨタさんの販売会社さんからメールをいただく。本社のネット販売担当さんらしい。直接は商談して下さらず、東京自宅そばの販売店さんを紹介していただいたのだが、電話番号しかないので、メールアドレスを問い合わるお返事を差し上げた。さてどうなることか?本件、ちょっとこまめにユーザ体験記録してみよう。 1999年6月29日(火) 竹田さんに手伝ってもらい、ネットワーク時代におけるビジネス戦略と組織の研究・教育を日本で拡充するプロジェクトのプロポーザルを書く。この半年で得たものをベースに日本が世界的な競争にきっちりついて行ける体制を作りたい。 新品のADSLモデムが来た。つないだらあっさりとつながった。便利さが全く違う。 日本で定額制が始まる記事が沢山でている。まだいろいろ不満があるようだが、とにかく一歩を踏み出すことが大切だ。記事で拝見するだけだが、野田郵政大臣と宮津NTT社長のリーダーシップは賞賛に値すると思う。業界に近いところに長らくいて、担当されている方々まで知っているが、かなり勇気が必要なことで、トップがコミットしなければ出来ないことだ。一万円という報道が出ている。この水準だと家庭は難しいかもしれないが、小規模事業者にとってはかなり面白いことになるのではないだろうか? 1999年6月28日(月) 竹田さんのリサーチのおともでUniversity of St. ThomasのEstrem先生に会う。インターネット上の設計コラボレーションの研究をしており、異なる環境で設計をしている複数の企業がデータ交換をする実験などをされた方だ。 いったん見込みがないと思われたSTEPがインターネットによって復活したというコメントが印象的だった。特にSTEP標準をXML上に展開できるとインターネット上で非常に柔軟な情報の共有を行うことができる。「私も当初はSTEPに懐疑的だったが、これで状況が完全に変わった」とのこと。大学の三次元CAD教育施設なども拝見する。三次元CADの演習室の隣に工作機械の部屋があって、作ったデータをもとにすぐ製作ができるようになっている。 1999年6月26日(土) 家に帰ったらADSL故障修理担当から電話が入っていたので、連絡。指示に従いながらいろいろ試験してみたが、最後ADSLモデム(CISCO675)が悪いとしか考えられない、という結論になった。新品を送ってくれるとのこと。ダイヤルアップでインターネットにはつながるのだが、スピードは遅いし、電話線を塞ぐのが気になってやはりよくない。 ダイヤルアップにいらいらしながら自動車購入のサイトに行き、見積りなどをいただこうと思ったのだが、相手側のシステムエラーでなかなかうまくいかない。デトロイトに出る前に連絡をお願いするメールを出したのにも返事がこない。販売店などのサイトに行くと、その販売店のテリトリー内のお客さんだけとしかネットでも相手にできないと書いてある場合が多い。これほど本気で買いたい人間を相手にする気がないのかなぁ。考えていたA社さんをやめて、ネットでの対応がよさそうなB社さんの車にしようかと思ったのだが、今度は車が気に入らない。やっぱりネットで買うのを優先するより、買いたい車を買うのが優先。ついでに書いておくと、出張に出る前、産経さんからリンクされている販売店系列からはずれたネット専門ディーラーさんを使うことも検討した。かなりいい感じだとは思ったが、車庫証明を自分でとって送るなど、手間がかかりそうなことが書いてあって、二の足を踏んでいる。自分は注文はネットでして、面倒な手続きは近所の販売店が対応してくれる可能性があるのを求めていることを気づく。価格よりも面倒の最小化がほしい。いいお客だと思うんだけどなぁ。もうちょっと待って、既存販売店が全然対応してくれないようならそっちを考えよう。 1999年6月25日(金) National Center for Manufacturing Science を訪問。企業がコンソーシアムを組んで開発プロジェクトや技術とユーザの間の橋渡しをしている。 午後、フォードAdvanced Manufacturing Technology Developmentを訪問する。Peter Sferro氏、Steven Weiner氏にお話をうかがう。三次元CADというのはもっと大きな流れの通過点に過ぎないという見方。人間は三次元形状で考えており、二次元を介さずに三次元のまま製造プロセスにつなげることが目標。最終的には図面なしに、物理的な形状を扱ってそれを数学的に表現したものが、工作機械に直接インプットされる。三次元画像ではなく、三次元模型を制作する。既に図面なし製作を実験しており、開発期間の劇的な削減につながっているとのこと。 機械産業では科学的に知られている現象を現場に持っていくと再現できない場合が多く、現場のスキルに頼らなければいけない度合が高いのではないか、と質問したところ、「それは20年前のこと」との返事だった。コンピュータ産業との対比で質問したのだが、「基本的に同じことがおこる」との見解だった。基本部品のモジュール化がおこり、commodityになり、mass customizationが起こる、とのこと。 夜、NCMSのSheridan氏の家に招待していただいた。 1999年6月24日(木) デトロイト(アンアーバー)に移動。国際大学竹田さんと合流。半日空いたので観光客気分でフォードミュージアムに行ったのだが、充実した展示で感心した。この国の技術とイノベーション好きは内燃エンジン、電力、鉄道、自動車など連綿として続いていることがよくわかる。デトロイトの街を走っていると、かつてSalter先生のもとで自動車産業の分析をしてきた時に現れた工場の地名が次々と現れる。かつてはここがシリコンバレーの活気だったのだろう。10年前に来た時には廃墟のようだったダウンタウンもかなりきれいになっていた。ただ、道路はまだ状態が悪い。そこら中で道路工事をしていて、所要時間は東京のように不確実だ。 1999年6月23日(水) NTTの高間さんがミネアポリスの空港を通過されるところに会いにうかがう。通信業界の動向、NTTの国際戦略などについていろいろお話をうかがった。高間さんは大きな会社にいながら自由な発想で仕事をしていらっしゃる。すごいことだ。 夜、ADSLの故障受けつけとやり取りをする。 1999年6月22日(火) 雑用をこなす。ADSLの調子が悪い。つながらない。一度復旧したのがまた落ちてしまった。 1999年6月21日(月) 14時すぎミネアポリスに帰着。家に帰る。そのまま寝てしまうとずれるので、近所で子供がサッカーの試合に出ているのを見に行く。出張中ためたメールへの返事は...明日にしよう。ごめんなさい。 1999年6月19日(土) 日本のECの現状と顧客間インタラクションのプレゼンテーションをする。どちらにもかなり強い興味を示していただけたように思う。終わってからいろいろな人が話しかけてきた。日本に対する関心は高い。夜、主催者の人たちが外国から来たグループを夕食に誘ってくれた。いろいろな意味でロシアの姿が見え隠れする。スロベニアから見たロシア、フィンランドから見たロシア。フィンランドでは年長者が見るロシアの姿と若者が見るロシアの差が大きいようだ。フィンランドはスウェーデン領からロシア領になり、共産革命時にやっと独立した。抑えた表現になるのは長年の注意深い行動のなせるわざか?国家に対する思い入れも違う。事務局の方々とゆっくり話せたのもよかった。「情報技術はほとんど国家戦略としての取り組みですね」と聞いたら「国家戦略そのものです。」との返事。 1999年6月18日(金) 夜間にフィンランドに移動。ヘルシンキ午後11時35分発という飛行機に乗った。午前1時にJyvaskylaについたら、まだ明るかった。オスロで夕方まで議論して、次の日の朝にはフィンランドの地方都市にいられて5時間睡眠くらいできる。韓国や台湾との間でこれができるようにしないと日本の未来はないように思う。ECCE(Electronic Commerce Conference and Exhibition)という会議に出席。移動体のトラックに出る。WAP(wireless application protocol)に話題が集中していた。特に面白かったのはGSMの狭帯域の上でデータ通信を実現するためにホストとバイナリー -でやりとりする。移動体データ通信、電子商取引がものすごく大きいことははっきりしている。しかし、その発展の方向に極端に違う二つのシナリオがあるような気がしてきた。 ヨーロッパは有線と無線の間に大きなスピードの差が残るとみて、移動体専用のプロトコル体系とサービスを作ろうとしている。インターネットの世界との接続はサーバの上にWML(wireless markup language)で書いたサービスがゲートでバイナリに変換され、端末で再現される。もう一つのシナリオは移動体も広帯域化してブラウザの世界と一体化したサービスを展開する。どっちになるかで話が全く違う。フィンランドは前者にかけている? 夜、レセプションに出る。9割以上がフィンランドの方。外国人はWanninger 夫妻、スロベニアのJose Gricar先生夫妻と自分。全員で70人くらい。いつも表情の少ない、大人しいように見えるフィンランドの人達が飲んで大勢で大合唱して笑いころげている姿がほほえましい。昔の日本のようだ。 1999年6月17日(木) OECDのワークショップ本会議。E-COMMERCEのインパクトはビジネス・モデルを通じて見る、というのはほとんど決定的な流れだ。さまざまな産業の報告がでた。乗るノルウェーの電力市場の話は面白かった。発電会社と配電会社が完全にわかれ、どのユーザ(消費者含む)がどの発電会社とも契約ができる仕組みになっており、その契約をインターネットの上で取引する。長期固定契約もスポット契約もできる。フランスの多産業のケース分析とその比較の話も面白い。日本からは通産省の田村さんからインパクト研の結果が発表される。フレームワークとしては一番意欲的だったと思う。多種の産業を一つのフレームワークで分析する試みの意義は大きかったように思うし、それが伝わったように思う。 intermediation, demand pull, market creation, demand-supply integrationなど各産業に共通するテーマは出てくる。ただし、業界によって現れ方はかなり違う。フランスの報告によると書籍の業界ではdisintermediationは大きい。 pharmaceutical では大したことない。確かにそうだと感覚的にわかる。ただ、それがなぜだかを説明するフレームワークがほしい。 1999年6月16日(水) オスロに到着、その足でNorwegian School of Managementで教えているハーバード時代の後輩のところに行く。なつかしい。学校を案内してくれた後で、すばらしく見晴らしのいいレストランで一緒に食事。さすがに話が早い。顧客間インタラクションの話をしたら、どんどん中身の奥に入ってくる。ぜひ一緒に研究しようということになった。 4時過ぎにホテル入り、30分休んでOECDの"Workshop on B-to-B Electronic Commerce"の準備会議ワーキンググループに参加。研究者を中心に方法論の議論をする。産業区分別なら世界共通のフレームワークを作れるか?用語などが業界や国によって意味が違う時にどういうふうに質問票を設計するかなど、細かくかつ重要な問題をいろいろ話す。ここも同じ悩みを抱えている人間の集まりで、短時間にずいぶん話しが煮詰まった。どうもヨーロッパでは sectorialmarket(産業内における、オープンな取引プラットフォーム)作りが大きな話題+課題のようだ。 sectorをどう分析するか、という議論が盛んに出た。夜、本会議に出る人達がおおぜい集まったところでレセプションとディナー。懐かしい顔が沢山きた。 1999年6月15日(火) 博士課程学生と打ち合わせ。 計算したら貯金してきた研究用資金を大幅に超えて使っている。あちこちに取材に行って出るものは出て行くからなぁ。投資なので貧乏覚悟でやれるとこまでやろうと思う。 1999年6月11日(金) 学校の授業が全て終わって、大変静かになった。やっぱり原稿が進まない。うーん、風邪ひいてる間の方がかえって生産性が高かったかな。 1999年6月10日(木) ニフティの渡辺社長と山川常務がいらっしゃる。Gordon Davis 教授と Bala Chakravathy教授を入れていろいろ議論をする。これからのネットワーク環境、電子商取引の決済メカニズムなど。夜、お二人とお食事を一緒させていただいた。これからネットワーク産業はどんな方向に進化していくのか? 1999年6月9日(水) 恒例の博士課程生との打ち合わせ。オークションの価格の決まり方がいまだにミステリー... 原稿書きをするが、どうも進まない。あきらめてたまったインタビューメモを整理する作業をしていたら、いろんな学生が顔をのぞかせていく。だいぶとけ込んだかな。 夜、また車のサイトをいろいろ見る。一長一短なので、同時に三つくらいのサイトを空けて比較しながら見る。エキサイトやインフォシークからだとったサイトが車体の価格値引きの目安を提供してくれているので少しは助かるが、それを越えて最終的にいくらかかるのかはディーラーに属性データを差しあげて見積りを貰わないとだめみたいだ。そんなことをしたらとんでもなく煩くなるんだろうなぁ。匿名のままやらせてくれるところないのかしら。さっさと決めてさっさと買いたいのだが、どうもそう簡単にはさせてくれないようだ。それにしても自動車メーカーさんのサイト、すごく凝ってて情報技術おもちゃを見るにはいいけど、いざ買いたいと思って見始めると情報量が少ない割に、凝ってる分だけすごく重いです... 楽天さんを使って親に花を贈ったのの確認メールをいただいたら名前の字が違っていた。と、いうことはマニュアルで打ちなおしをされているのかしら。このままだと取引量が多くなってくるとバックエンドがパンクしますね。パンクが怖くなるくらい栄えると嬉しいですね。日比谷花壇さん、花の注文、実は最初そちらにしようと思ったのですが、結局できませんでした。まず花を選んで下さるメニュー、意欲的ですばらしいのですが「理由もなく、ただギフトとして親に花を贈る」なんてのは受けつけてくださらないようで、ちょっと使いにくかったです。決定的だったのはカード番号を入れようとしたら何度もエラーで登録できなかったことです。原因わかりません。 今日は三石さんみたいな國領でした。みんなで頑張ろうね! (^^) 1999年6月8日(火) お休みを頂戴して、子供の学校のイベントのお手伝いをする。日本に帰ったら車を買おうと思ってインターネットでいろいろ探し始める。やはり時間がかかるので、自宅で長時間接続できるのがとても嬉しい。2時間くらい検討して候補を5車種ほどに絞った。いずれネットで見積りを取ることにしよう。しかしそれにしても価格が不透明な商品で、どれだと予算にはまるのかてんで分からない。いろいろなサイトにいったが一長一短だ。 isizeの情報量がさすがに多い。情報量が多いとインターフェースの設計が大変なのだろう。苦労しながら工夫されている様子が興味深い。私がいいなぁと思った車種を絞ってから、批評をしているページをいくつか見て笑ってしまった。「車に興味のない人が選ぶ車」とか「実用性が高いが面白みがない」とかそんなのばっかりだった。見てる合間にデルの翻訳のことでメールが飛び交う。 1999年6月7日(月) 週末にマイケルデル氏の本の翻訳書用の解説を書いた。シリコンバレーとは少し違う発展モデルがそこにある。いろいろな意味で日本の製造業のモデルと共通性があって、原理的なところでは日本の方にも受け入れられると思うが、戦略の徹底、組織の柔軟さなどが決定的に違う。 夜、net@phoneを使って日本に残っている博士課程生とビデオ会議。今日はネットワークが安定していて良かった。コンセプトが絞れてきたようで嬉しい。私が日本にいると案件を沢山持ち込んでしまって、どうしても研究室が発散してしまう。その意味でも出てきてしまって良かった。 1999年6月4日(金) 夜行便で帰ってきたらやはりフラフラする。帰宅して少し寝てから雑用をいろいろこなす。先週の話になってしまうが、USWESTから手紙が来た。何といま月定額40ドルで受けている ADSLサービス(256K)を30ドルに値下げするという通知だ。これはFCCがインターネットプロバイダ接続をを市外事業者接続とみなすという決定に基づくものだ。日本ではこの決定によってアメリカではインターネットの料金が高くなるとか、アメリカでもインターネットが従量制になるとか報道されたいわくのあるものだが、現実にはより低額で定額サービスが受けられるようになった。 http://www.fcc.gov/Bureaus/Common_Carrier/News_Releases/1999/nrcc9014.html http://www.fcc.gov/Bureaus/Common_Carrier/Factsheets/faq_recp.html ミネアポリスあたりでは遅れていたケーブル会社(MediaOne)も大々的に双方向インフラへの投資計画とケーブルアクセスサービスを宣伝している。日本でも低額・定額の動きがだいぶ進んだ気配があって大変うれしいが、急がないと差がどんどん開く。 1999年6月3日(木) 朝からサンノゼにいき、eBayをおたずねして、いろいろお話をうかがう。個人間売買の仕組みを日本に入れる場合にどんなことを考えなければいけないか、いろいろ議論させていただく。社会的な信頼関係の構築の差、個人間売買の習慣の差、支払いメカニズムの差など、いろいろことが話題となる。これをケースにすれば技術と社会システムの関係について刺激的な教材ができるだろうとても楽しみだ。それにしてもeBayの仕組みは面白い。個人でも電子商取引の売り手側に回れるプラットフォームがもっといろいろ出てくれると嬉しい。夜半過ぎのフライトで帰る。体調がだいぶよくなってきた。 1999年6月1日(火) 風邪が治らないと泣き言を書いたら随分たくさんの方からお見舞いのメールをいただいてしまった。思いのほか沢山の方に読んでいただいているようで、ありがとうございます。おかげさまで低空飛行ながら仕事はできてます。少し手を抜いてメールなど不義理をしてる部分がありますが、どうかご容赦ください。 1999年5月28日(金) せっかくワシントンに来たのでと思ってPSIを訪問。ホスティングサービスをしているデータセンターを見学したり、先方の幹部と議論したりした。CEOのSchraderさんとも5年ぶりに再会。ネットの商業利用を夢のように語りあったことを思い出す。あのころ考えたよりも数倍大きなことが起こって、これからまたもっとすごいことが起こる。書けない話もいろいろ聞いたが書けない。ミネアポリスに帰る。せきが止まらない。なんてしつこい風邪だ。 1999年5月27日(木) UC BerkeleyのBerkeley Round Table for International Economyが主催のThe Digital Economy in International Perspective: Common Construction or Regional Rivalryという会議に出席。デジタル経済が各国で同じような発展をしているのか多様な発展をしているのか?対立点は何か?国際と言いつつほとんどアメリカ対ヨーロッパで、ニ十人以上発表した中で私が唯一の非欧米発表者だった。与えられた10分間でどれくらいインパクトを与えられるか?ただでさえ日本は情報化に取り残された落伍者と思われてる...スターはシリコンバレーとフィンランドという構図はまだ変わらない。ワシントンという土地柄を反映して政府関係者も多く、government regulationなのかindustry self regulationなのか、というヨーロッパとアメリカの対立の底流がそこここに見えかくれしていた。特にプライバシー。大変面白かったのだが、風邪でせきが止まらず苦しくもあった。 1999年5月26日(水) 会議に参加するためワシントンに移動する。夕方ワシントンコアの小林さんにお話をいろいろ聞いた。 1999年5月25日(火) 朝から博士課程生と打ち合わせ。午後に日本サスティナブル・コミュニティ・センターの事務局長の浅野さんが家に来る。活動についていろいろお話をうかがった。自律循環型で持続可能な社会を作るというメッセージも、ネットを使って、いままで参加が難しかった方々に参加をしていただき、何がしかの所得を発生させようという活動など、具体的な進め方にも共感を持った。いままで少し距離をおいてきたNPOのコンセプトについても改めて考えさせられた。正直なところビジネスにできるものは極力ビジネスにした方が発展させられると思うが、ビジネスがコミュニティの中で育つことも事実で、コミュニティには利潤追求以外の原理も確かに必要だ。ただ「N」POとか、「以外の原理」とか言ってる間はだめで、有効な誘因と貢献とガバナンスの構造を作らなければならない。ビジネスの側も奉仕的に価値を生み出す活動をして下さっている方々の貢献をきちんと評価して報いるようにしなければならない。価値の創造とその計測、価値創造活動への参加の誘因と貢献のメカニズム。きちんと理論化しないといけない。それがわかったら営利か非営利かというのは方法の選択肢としてより有効な方を選べばいいということになるだろう。。 でもまてよ。こんな理屈ばかり言ってても仕方ないか。実践にまい進されている方の方がえらいなぁ。 1999年5月24日(月) Kauffman教授の博士課程科目の最終報告発表会の審査員を頼まれて、博士課程生8名が電子商取引をテーマに文献研究、データ収集、分析をやった論文と発表を見る。いずれも水準がなかなか高くて嬉しかった。BrynjolfsonやMaloneに影響されて電子市場が物理市場に比べて完全市場に近く、価格は下がり、価格差は縮まるという仮説の研究のバリエーションがいくつかあった。どうやらそんな単純な話ではない、という結果がいずれからも見える。ホームページ作成のman-machineインターフェースでどんなものが有効か、というデザイン論もあって面白かった。一番面白かったのは新聞業界において有料と無料のサービスがどんな形で展開しているか、という発表だった。記事情報そのものは無料化がどんどん進んでほとんどが一色になっているが、過去記事検索サービスで違いが見える。一気に沢山みて楽しかったが、疲れた。風邪が治らない。 1999年5月21日(金) MISRCのセミナーUSCのRober Josefek助教授のManaging Human Capital in the IT Organization.情報システム部門の人事。発表はそれほど斬新というわけではなかったが、ことの重要性を強く感じさせた。特に重要なのは個人のキャリアパス設計と企業が提供できるポストのずれだ。個人としては技術の変遷とともに新しい技術を習得しつつ新しいポストに動いていかなければ生き残れない。企業の側はそんなに動いてもらうとシステムがちゃんと動かないので、固定させたい。フロアにいた企業のIS部門の方々からも切実な声が沢山でた。基本的に売り手市場で人が流動しいついてくれない、という悩み。 午後にはワークショップがあった。Barbara Klein,University of Michigan at Dearborn, "Detecting Errors in Data"。これも大切。データベースの中にあるデータの誤りの発見プロセスの研究。ハードもソフトもデータも情報システム分野の品質管理は製造業などでは信じられないようなレベルの低さだ。コスト管理も前近代的... 1999年5月20日(木) 風邪が治らない。ダウン。家で締め切りのせまった原稿を書く。 1999年5月19日(水) 博士課程生と打ち合わせ。息が合ってきた。ちょっとこだわったことをしてるせいでデータの集まりのスピードが遅いがここはがまんがまん。 1999年5月17日(月) 電子メールのおかげで日本と連絡がいいが、その分だけ仕事がいろいろ入ってくる。書くのは自分の頭の整理になるのでいいのだが、消耗もする。 1999年5月14日(金) 日本企業を研究しているMITのEleanor Westney先生の発表を聞きにいく。日本がいかにして世界で最も評判の高い地位から、無能の烙印を押されるところまで転落したかの分析。少なくとも大企業の実態についての把握については正確にされていたように思う。企業およびグループ内の人事のありかたが良くも悪くも決定的な特徴だったという分析。そうだと思う。いまの評価の低さは80年代に日本のものであれば何でもかんでも良いと持ち上げすぎた反動だというのもそうだと思う。企業の従業員年齢構成でバブル採用の年代が肥大していることが日本の経営体質を変えるだろうという観察もきっとそうだろうと思う。従来型の大企業の話ばかりで、大企業が改革できるまでは日本の再興がないようにおっしゃったので、アメリカでも大企業の再興は新興企業の勃興の後に来たわけで、日本の新興勢力にも目をむけてほしいと言っておいた。 1999年5月13日(木) 風邪でダウン。 1999年5月12日(水) 博士課程生と恒例の打ち合わせ。データの集まりのスピードがいまいちだが、着実に進む。嬉しい。eBayのケースも書かせていただけそうな情勢でデータとケースの組み合わせで厚みがだせそう。 1999年5月11日(火) 日本とインターネットで無料会議しようと思ったら回線状態があまりよくなかった。結局キーボードでチャット。短い時間に自分の言いたいことのエッセンスだけをどんどん考えていくのも頭の訓練には悪くない。 1999年5月10日(月) 委託研究のスポンサーのリクエストにお応えするために、走りまわって資料集めとレポート書きをする。ひさしぶりにサラリーマンの気分。こういうのもずいぶんやったなぁ。でも調べてるうちに面白くなってきた。面白がってのめり込んでると期限に間に合わない。 1999年5月7日(金) MISRCのセミナー。サプライチェーンの話。概念的には10年前からほとんど進歩がない...ただし、実務上の重要性は非常に高くソフト開発やbenchmarkingの手法などに顕著な改善があるように思う。 昼には領域のワークショップがあったJohn Ricketts博士,Distinguished Engineer,Year 2000 Center of Competency,IBM Global Services。つまりIBMの2000年問題技術者。面白かった。一年くらい前は業界によって取り組みの落差が激しかったが現在では縮まっている。今、顕著に遅れているのは(1)いったん対策を行ったと思ったシステムをいじっているうちにバグが入りなおってしまう現象への予防策。(2)おこってしまった時の対応マニュアル整備だそうである。1999年になると2000年の予約などがどんどん入るので、沢山トラブルが起こると思っていたが予想よりかなり少ないという。どうしてかが随分議論になった。「情報システムは普段からトラブルだらけで、2000年問題が発生しても、現場もユーザもシステムダウンと対応にはなれっこになってるから」というのが笑いを誘いつつ、説得力があったから。2000年問題で障害対応が10%増しくらいになっており、10%増しくらいの体制は大きなユーザとベンダーは持ってるのだそうだ。ただし油断はならない。誤ったデータとして格納されたものが何十年か後にいきなりバグとして現れるかもしれない。 1999年5月6日(木) Chakravathy先生の博士課程セミナーに呼ばれていく。経営戦略論。ミンツバークなどの議論。戦略はemergentかplannedか。なつかしい。日本の企業のことをいろいろ聞かれた。伝統的には日本の会社は戦略という意識はほとんどなくて、あるとするとベストプラクティスを導入しようという意欲だったのでは、と答えたのだが...本当かしらん。専門外のことに答えるのは自信ないなぁ。 1999年5月5日(水) 博士課程学生が二人きた。一人はいつもの学生。方向がだいぶ固まってきて、データの蓄積が始まった。嬉しい。もう一人は月曜日に僕の発表を聞いた学生が、オークションデータを集めるエージェントを作り始めたということで説明に来た。うまくいくと手作業でやってることが大幅に簡素化できる。しめしめ。 1999年5月3日(月) Kauffman教授の電子商取引が主題の博士課程の授業に出る。論文と雑誌記事類を読みこなしながら、さまざまな主題について研究テーマと仮説を導出する作業を繰り返す。基本的には我々と同じだが、7人もの博士課程生が電子商取引を主題としてやってる。うちの森田君はかなり容量あるので5人力くらいだと思うけど、でも負けるなぁ。あちこちの大学がどんどん電子商取引で講座を開いていることを考えると何十倍くらい負けてるんだろう。一時間ほど時間をもらって、サプライチェーンの研究からintermediation、プラットフォームから顧客間インタラクションなどこの10年間研究してきたことを説明した。結構うけた。 1999年4月30日(金) IIIのセミナーで浮川さん+太田さんに "A Language/Document Company Contributing to Knowledge Management"というタイトルで話していただく。日本語処理のノウハウがいかにしてKnowledge Managementにつながるか、自然に分かるプレゼンテーションだった。急に決まった会だったにもかかわらず、非常に熱心な聴衆が集まって、言語処理の部分もコンセプトベースの部分にも質問が沢山出た。正規の時間では足りなくて終了後にもいろいろ人が寄ってきた。発表されたジャストシステムのknowledge managementツールはnatural language processing と vector space modelingによって、多くの文書を類似性の高い順番にマッチさせ、検索をしたり分類をしたりするもの。カスタマーサポートへの応用例が出た時にその重要性が実感がわいた。顧客からのさまざまな苦情とその対応をデータベース化して、新しく来たものとマッチングすることで、対応のスピードも質も大きく向上する。データベースを顧客に開放することもできる。自然言語で書かれたものがそのままデータベースになるので、お客さんからの情報がどんどんデータ化する。例えば「どうやって聞いていいのかすら分からない」お客さんが漠した質問をして、苦労して原因を突き止めたような記録があると、次回に似たような漠とした表現の質問への回答の効率が高まる。これだけヒントを貰って考えるとどんどんいろいろなアプリケーションが思い浮かぶ。 午後からGordon Davis先生、Wanninger先生と別途意見交換の場を持つ。 Davis先生がknowledge managementを追いかけているので、突っ込んだ議論になった。夜、ほっとしたところで郊外の湖のほとりのレストランに行ってゆっくりお話をした。何という贅沢な時間。 1999年4月29日(木) 両浮川さん+太田さんを迎え入れる準備をする。プレゼンテーションとコンセプトベースを入れて用意万端と思っていたマシンを教室に持っていったら...どういじってもきれいに映らない。いったいいつまでこういう心配するのかなぁ。午後、皆さんミネアポリス入り。夕食をともにする。 1999年4月28日(水) 博士課程学生と打ち合わせ。だいぶ方向が見えてきたので仮説と集めるべきデータの定義を少し詰めてやろうということになった。 1999年4月27日(火) とても美しい季節になってきた。新緑が鮮やかだ。早起きをして原稿を書く。日経さん向けの記事。3000字の中に詰め込むのは大変だが、頭の整理になっていい。学校にいっていろいろ雑用をこなす。顔出したWanninger 先生が金曜日のイベントに予定していたマイクロソフトの方が突然キャンセルしてきたと困った顔をしていたので、ちょうどミネソタにいらっしゃることになっていたジャストシステムの浮川ご夫妻と太田秀一さんに発表をお願いしてもいいと言ったら大喜びされた。ちょいと忙しい思いをしたが、だんだんこちらのメンバーの一人になってきたのが嬉しい。早めに家に帰ってテニスをした。 1999年4月24日(土) Chakravarthy先生に誘われて家族で食事する。とても奥の深い先生だ。 1999年4月23日(金) MISRCの会合があるミネソタ大学のKauffman教授。The New Electronic Markets of the Internetというタイトルでインターネット上のオークションの分析をいろいろして下さった。理論と現実の話が交互に出てきて大変興味深い。経済学の方々のお好みはVickrey型だが、現実にそれを適用したらどんなビジネスモデルが作れるのだろうか?理論面では"buy to resell (転売を意識して買う価格を決める)"のと自分で消費することを想定して買う場合の行動が違うなどの話がでた。 common value assumption vs. private value assumption. それにしてもオークションを入れると完全市場になって価格が下がると思いきや、現実には高い価格で売れることを我々は発見しつつある。ネットは買い手が最も安く売ってくれる相手を探す場であるとともに、売り手が最も高く買ってくれる買い手を探す場でもある。10年前にオークネットで見たことが今大規模に再現されつつある。あの時、もっと深めておけば良かった。 1999年4月22日(木) たまっていた書き物をする。考えに詰まるとコソボの記事などを読んだ。新聞を自宅でとらない生活をしている。毎日オンライン版のワシントンポスト、ニューヨークタイムズ、CNN、日経新聞、朝日新聞、読売新聞を読んで記事の横の比較をしている。ことコソボ問題については日本からの情報の方が早い。これは何を意味しているのだろう?イギリスのメディアもいろいろ見るが、アメリカのものより論調の幅が広い。ユーゴ政府のホームページも見る。インターネット上の宣伝合戦がすごい。しかし、この戦争がどうなってしまうのか大変不安だ。下手をすると大変なことになる。 1999年4月21日(水) 助手の博士課程学生と話す。先週、見直した方針でデータを持ってくる。やはり同じ人間が同じ時に売っても大きな価格差が生れる。仮説の整理をいろいろして、集めるべきデータについて絞り込みを行った。これで網を張ってどんな結果がでるか... 1999年4月20日(火) シカゴに行きClassifiedventures社を訪問する。以前から大変興味を持っていた会社なので楽しみだった。期待にたがわず面白かった。Tribune社がイニシアチブを取って、 CNI, Gannet, Knight Ridder, The McClatchy, NY Times, TimesMirror, Washington Postと大手の新聞社が出資してClassified 広告の会社を作っている。 www.cars.comや www.apartments.comなどを運営しており、新聞社のページから飛んでくるようになっている。これだけの新聞社の広告のエンジンを担っているというのは大変なことだ。 いろいろな意味で大変面白い。全国データベースを構築しつつ、新聞のローカルでの信頼をレバレッジするというコンセプト。既存大企業のコンソーシアムがやっていること。シカゴでやってること=まわりにインターネットベンチャーの大きな集積があるわけではない。相乗りのプラットフォームを形成していること。 ビジネスモデルも特徴的。情報コンテンツも新聞社からの提供を受けている。つまり直接営業をせずに新聞社を経由しているところが、、強みでもあり、ネックでもあるようだ。地元新聞社が本気になってこのモデルを支援し始めたらその営業力は大変なものであろう。ただし、その気になってもらえないと成長できない。 広告業だから当然だが、消費者行動で議論がはずんだ。興にのっていろいろ議論してる中で副産物のように気づいたことがある。ネット上で商品に関する情報探索行動が行われる順位が travel, software, auto, computer, consumer electronic, book, investment info, gift, clothing, food, furnishing, insuranceの順番であり、実際に購入しているのは software, book, PC hard, music, travel, clothes, consumer electronic, cars, food productsの順であるという資料が出てきた時だ。情報探索行動の順位と実際の購買のリストが全く違う。旅行、自動車などは探索をネットでして購買はオフラインでするということだろう。各リスト上位三位までで考えると次のようになる。 探索オンライン 探索オフライン ‐−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 購買ネット ソフト 本、パソコン 購買オフライン 自動車、旅行 ちなみに日経マルチメディア調査での日本でのオンラインショッピングの順位はパソコン、書籍、ソフトウエア、食料品だ。アメリカでオフライン探索しているものの順位が高い。ネットを情報探索に使うか否かというところで日米に差が生まれつつあるということか? Classifiedventures訪問が終わった後にUniversity of Illinois Chicagoに行って Jim Ho教授にお目にかかる。ついでに先生の授業を一つ教えてきた。学部生に授業をするのは4年ぶりくらいで、ちょっと勝手が違ったが、300人くらいいたにもかかわらず手がどんどんあがって楽しかった。町中の大学で働きながら学ぶ学生が多いのとマイノリティが多いのが特徴で、エリートの学校ではないがそれでもとても熱心だ。 1999年4月16日(金) 朝からInformation Industry Initiative のセミナーがあった。、RichardEssigs氏、Procter & Gamble のAssociate Director, eCommerce North Americaである。テーマが"Retailing Still Matters!"であった。ネットワークが入ることによって小売のモデルが1950年代の顧客と売り主の個人的な関係を重視するものに戻りつつある、という論点が面白かった。real peopleがreal productをめぐって relationshipを構築する。その中で顧客が重視するのはquality,trust, convenience, value, control and choice (この順番に大切)だという認識だとのこと。基本的に消費者というのは購買行動について保守的で、"Shopper behavior is deeply engraved." 特に直接に食べたり身に触れたりするものについてはとても臆病だという指摘。CDと Groceryは違うとのこと。Information overloadの中では信頼されるブランドが大切。いつものことだが、後の質疑も面白かった。信頼が大切にしてもそれはメーカーブランドではなくて、プライベートブランドになるのではないかとの指摘。(これはきっとそうに違いない。)顧客層別のセグメンテーションが行われるのは必然で、それがどういう形を取るか、という疑問も出された。まだ分からないことも多い。 1999年4月15日(木) 予定していたニューヨークでの取材が先方の都合で突然キャンセルになったので、家にこもってたまっていた仕事をする。なんだかだんだん忙しくなってきた。 1999年4月14日(水) ミネソタに戻る。午後一番に助手をしてくれている博士課程学生が来た。なんと先週発見したブラックホールのデータが消滅してしまったとのこと。E-bayがディスク上に保管する時間が過ぎてしまったようだ。「貴重な先生のアメリカでの時間を無駄にしてしまって申し訳ない」と深刻に悩んでいる。「私はクビでしょうか」などと言う。「他のグループが同じような研究をやっているようだ。この影響で先生の仕事が最初ではなくなってしまう」などとこちらが申し訳なくなるくらいだった。博士課程の学生の心理は日本でもアメリカでもとても不安定だ。当初想定した評判が影響するという仮説通りの分析結果がすんなり出てこないことも気に病んでいる。研究には試行錯誤がつきもので、最初に予想した通りの結果なんか出てくる方が珍しいのだということを分かってもらうのにしばらくかかった。 1999年4月12日(月) Weatherford Daily News 途中で社長の友達の電話会社の人が来てくれた。農村地帯のネットワークインフラストラクチャの談義となる。農村への設備投資を確保するために都市部の論理と常に戦わなければいけないという。インターネットについてはADSLをケーブルモデムに対する対抗商品として設備投資と価格設定をしている。ただし、ケーブル側も設備投資負担の重さがあってそれほど展開が早いわけではない。加入者無線の展開の可能性についてしばらく話した。 1999年4月10日(土) 家族ぐるみで30年近く付き合っているオクラホマの家族のところにいく。半分は10年ぶりに遊びに来た訪問だが、半分は町のローカル新聞をやっているご主人とオンライン新聞の意味について議論をするためだ。もともと彼が私の英語でホームページに出した顧客間インタラクションの論文を見て、ローカル紙が生き残るにはこれしかないといい始めて訪問することになったものだ。人口一万ちょっと、オクラホマシティーからも100キロ以上離れたアメリカの大草原の中だ。Little Town America, Main Stream Americaである。ここから見るインターネットの姿はシリコンバレーとも東海岸とも違う。夜にロデオを見にいった。 1999年4月9日(金) 朝からMISRCのセミナーがあった。講師はデルコンピュータのデルが技術に対して徹底的にプラグマティックな考え方をしているのが改めて良くわかった。技術の実用性を見てcommodityにして、市場に届ける。氏はIBM出身で対比も面白かった昼から私の所属するInformation and Decision Sciences領域のワークショップがあって顧客間インタラクションの発表を行った。我ながら結構うけが良かったように思う。各局面で議論が噴出した。水曜日に浮かび上がった疑問の話もしたら、いろいろ仮説を出してくれた。やはりこういう会があるのはありがたい。情報領域の人間の集積があるところに身を置きたいという願望が強まってしまった。 1999年4月8日(木) UCバークレーのCohen教授がミネソタにいらして面会を求められたのでお目にかかった。ワシントンでネットワークエコノミーがアメリカモデルに収斂するのか各国別の特徴が出てくるのか議論をするので参加して欲しいとのこと。この設問にどう答えればいいのだろうか?決済メカニズムについてはクレジットカード一色のアメリカに比べて日本の方がデジタルキャッシュなどの出番が多いような気がする。www.music.co.jpとwww.music.comの比較をすると面白いかしら。 1999年4月7日(水) 助手をしてくれている学生が来て、研究の中間報告をしてくれた。E-bayを題材に「評判のいい売り手はオークションで高値で販売することができる」という単純な仮説にもとづいてデータを取ってくれているのだが、どうも評判の効果があるとしてもそれを隠してしまうくらい大きな要因が別にあるような感じだ。全く同じ売り手が、全く同じ時間に、全く同じ商品を売っても落札価格が20%以上乖離する例が多く見られる...評判の研究をするためにはこの効果をコントロールしなければいけない。この効果がいったいなんなのかを調べるのも大切だ。天文学者がブラックホールを見つけた時もこんなことだったのかもしれない。何なのだろう? 1999年4月3日(金) 所属しているInformation and Decision Sciences領域のワークショップ。普段は研究発表をやっているようだが、今回は領域のホームページの評価。Wanninger先生のチームが開発したホームページ評価手法を使ってアマゾンのページをベンチマークに評価し、改善方法が提案された。身近な話だけに議論が噴出した。誰を意識してページを作るか(在籍生?これから入りたい方?企業?他の大学の研究者?)とか、学校全体と自分の領域の役割分担はどうあるべきかなど、私にとっても悩ましい問題が沢山でてきた。 1999年4月1日(水) ミネソタに戻る。アシスタントをしてくれている博士課程生がきてくれた。ネットワーク上に形成される顧客間の評判メカニズムが取引にどんな影響を与えているかをebayを使って調べてくれている。ebayは買い手が売り手の評価をしてそれがデータベースで提供されている仕組みだ。よい評価を受けている売り手が高く売れるだろうという仮説だが、調べ始めてみると現実はそれほど単純ではないように見えてきた。 1999年3月31日(火) 午前中に電気通信に詳しいDavid Allen氏にお目にかかり議論をする。昼食後ハーバードビジネススクールに行ってIansiti先生にお話をうかがう。ハーバードのTechnology Management領域で情報技術研究の中心になっている方だ。行ったら学生が大勢押しかけていた。自分達が書いたビジネスプランの相談だそうだ。技術と職業経験のバックグラウンドを持っている学生がビジネス・スクールに来て経営を勉強し、在学中にビジネス・プランを作って企業するというサイクルが完全に出来あがっている。うらやましい。私の目的はハーバードで経営情報システムをてがけている人物が誰かを確かめに行くことだったのだが、今やありとあらゆる領域で情報化をてがけているので、かえって中心が見えなくなっている。 1999年3月29日(月) ハーバードビジネススクールに行く。久しぶりで懐かしい。博士課程の事務局に行ったらお世話になったスタッフが歓待してくれた。先生には聞けないいろいろな裏話も聞いてしまった。 恩師のMcFarlan先生と一時間ばかり話す。エネルギーは健在だ。教育の電子化、研究のこと、卒業生の就職のことなど話しているうちにあっという間に時間がたってしまった。学生の半分が「西海岸系」のベンチャーを目指しているとのこと。 夜は私に学者になる道を拓いてくださった大恩人のSalter先生のお宅に泊めていただいた。Governanceの研究をされている。Salter先生のもとでアサヒビールのケースの作成プロジェクトをやらせていただいたのが、自分の出発点だったと思う。先生にとってもやりがいのある仕事だったと思って下さっているようでありがたい。10年ぶりに日本の会社をぜひ検討してみたいということで、いろいろ話し合いをした。それにしても10年前にこれから governanceが焦点、といわれた時にもっと勉強しておけば良かった...情報への関心断ちがたく博士論文は情報にしてしまった。 1999年3月27日(土) ボストンに移動する。家族同然にお付き合いしている方々の家に転がり込む。 1999年3月26日(金) 午前中Knight Ridderという出版会社のオンライン技術・オペレーション担当のJennewein氏にお目にかかってお話をうかがう。これも大変面白い話が沢山きけた。大きいサイトよりも小さな商店の方が儲かっているのではないか?トラヒックが多い最上位のサイトだけでなく、裾野の方で重要なことが起こっている可能性が高い、など指摘があって、なるほどと思った。 午後野村総合研究所の渋谷さんと議論をする。従来コンテンツ産業とみなされていなかったような業界も発信している情報で価値をつけている... 1999年3月25日(木) 朝予定していたNYタイムズの方との予定がキャンセルになってしまった。昼食はスタンフォード大学に行って青木先生と議論をする。すごい先生というのには共通しているところがあって、お話をさせていただいているうちに自分が考えていることが何なのかが浮かび上がってくる。専門分野をまたがって議論すると用語や発想法の違いなどがコミュニケーションの妨げになるのだが、それを超えた問題意識の共有をして下さるところが嬉しい。本当にありがたい。自分もそういう学者になりたいものだと思う。 午後はハーバード時代の友達が遠隔教育のベンチャーで働いているということでおしゃべりをしにいった。 夕方友達と連絡をとって晩御飯を食べた。その友達というのも来て三人。相手の二人とも自動車の部品ベンダーで働いた後に情報産業がクライアントの会社に移ったとのことで、自動車産業と情報産業の比較論が面白かった。品質管理などにおいて情報産業は自動車とは比べ物にならないほど遅れていて、自動車の手法を少し取り入れただけで「魔術のようだ」と貰えるとのこと。部品の耐久性も自動車は7年間もつ設計をするが、情報産業はどんなに長いところでも5年だとのこと。単に遊びに行ったつもりが勉強してしまった。 1999年3月24日(水) とあるコンサルティング会社を訪問し半日議論させていただいた。いろいろな話題をいろいろな方と実例やデータを交えて議論して、終わった時には快い快感だった。論点のうちいくつかを書く。ネットと物理的なお店の特性の違いで顧客獲得には物理店舗の方がコストが安く、維持にはネットがいい。ポータルは総合的なものから segment specificなものになるのではないか。テレビとネットの融合などを考えると、顧客情報へのアクセスという意味ではセットトップボックスを押さえている企業が強い。 夜、友人と食事。 1999年3月23日(火) アトランタからサンフランシスコへの移動。予定していたユナイテッドのフライトが制御系不能で滑走路まで行ってからキャンセルになり、えらいめにあった。 1999年3月22日(月) Konsynski教授に顧客間インタラクション、コミュニティなどの概念についてこちらの考えを説明し、フィードバックをいただく。「コミュニティとビジネスは背反するものではなく、共栄するものだ」というメッセージを世の中に強く出すことに意義があると強調されていた。どういう切り口で見ると、その接点が一番見られるかとの質問に対しては、「patterns of work and leisure」を見るのがいい、とのこと。ビジネスとコミュニティ(生活)を全く別世界のことのように思う場合が多いが、人間の生活の中には仕事と生活が共存しているし、その境界は案外ぼんやりしている。人間のlifeという視点では統合されざるをえない。SOHOやテレワークといった形態の中に融合する形を見出していけるだろうとのこと。 コミュニティとはそもそも何か?という議論をふっかけた。あまりかたく定義しようとしない方がいいかもしれないという前おきの後に「shared value」があるグループとの答だった。 昼食はKonsynski教授とEmory大学のマーケティングの若手教授陣と議論しながら過ごした。このグループにも意図をすぐ理解してもらった。消費者がどんな情報に信頼をおくか?コミュニティが存在することによって、情報の信頼性が高まる現象はどんな情報についてあてはまって、どんな時にはあてはまらないのか?Trustとsanctionの構造をどのように作りこんでいけばいいのか? 午後にはCNN Interactiveに連れて行っていただく。Jeff Garrard 氏にお目にかかる。ニュースを届けるのがCNNの基本的な使命という基本線の中で、広告収入を確保するビジネス・モデルを指向しているとのこと。出てきた話。QuickVoteという仕掛けを取りこんである。日本への進出に備えている。内容のローカル化とグローバル化のバランスは大変難しい。これからはローカル化も考えていかなければならず、インターネットはそれをやりやすい環境を提供している。インターネットで情報が氾濫している状況はそれほど脅威ではなく、どのニュースは見るに値するかを判断する機能はこれからますます重要だ。インターネット版の中身は多少コンピュータユーザを意識した編集になっている。 夕食にアトランタ・ビジネス・クロニクルという新聞社の情報産業担当記者が飛び込んできていっしょに食事をする。ちょうどいい機会なので、新聞がどんなモデルに発展するのか逆取材をかける。基本的に消費者はインターネットの膨大な世界の入り口を探している、という意見。価格が安いだけではなく、慣れや安心感によって特定のサイトを利用する現象が現れる。 夜はMacaquariumを訪問する。Emory大学のビジネススクールの学生さんたちと一緒に社長のプレゼンテーションを聞く。Konsynski先生の弟子で26歳の若さだが、学部生のころからコンピュータ上の動画やグラフィックスを開発する仕事をてがけ、三次元技術などを使って発展している。文章ではあらわしにくいが大変なエネルギーレベルだ。日本でもこういう会社がどんどん生まれてほしい。 1999年3月21日(日) 研究旅行に出る。最初はアトランタ。 到着後にハーバード時代の恩師の Konsynski 教授と食事会。Konsynski教授はやはり天才だとしか言いようがない。彼が10年前に言っていたことがその通り実現している。私が持ち込んだ素材も一瞬にして理解していく。まぁ、先生の影響を受けて作ったものなので、当たり前ともいえるが。Hero's Farewellで有名なSonnenfeld氏(元ハーバード大学教授)も来てくださって、議論に花が咲いた。いったん力のある人に認めてもらうと、どんどん輪が広がっていく。認めてもらえるようなアウトプットを出しつづけるのが勝負だ。 1999年3月19日(金) MIS Research Centerが会員企業を招いて行っているセミナーに参加する。発表はGordon Davis先生でタイトルは"Improving Knowledge WorkProductivity with Information Technology"だった。前半は知識生産の生産性をどのように考えるか、という話題。そも知識とは一体何であるかを定義するのがとても難しい問題であり、ましてその生産性を測るというのは困難だと断りつつ、あくまでも構造的を解明してブラックボックスの部分をなくそうという姿勢だった。このあたりが西洋の知の真髄だろう。後半はかなり具体的にエクセルの題材にして、template使ったり、マクロを使ったりすることがどのように生産性と関係するかという実践的な議論だった。抽象論に終わらせないで実践の例で示すことで実務の方々との議論の接点を作っていく。 1999年3月18日(木) IS World Japan 1999年3月17日(水) Zaheer教授と議論をした。Trustについて研究をされており、ネット上のtrustの問題をどのように考えればいいのか、いろいろご意見を聞いた。 1999年3月15日(月)、16日(火) 風邪をひいて学校には少し顔を出すだけで、家でいろいろ作業を行う。オンライン新聞業界の動きは調べれば調べるほど面白い。大新聞とポータルサイトの競争の面と、規模の経済性とコミュニティに根ざした場面情報との競争の面がある。取材のためにあちこちにアポ取りをする。 1999年3月12日(金) MusiclandのMike Sowada氏による講演を聞く"Selling CDs On the Internet -Profitably"という題。ホームページを立ちあげるのは簡単で、そこから利益が出るようにきちんと運営するのが大変である、という話題が何度も出てきた。
1999年3月10日(水) とある新聞社のオンライン版担当責任者に話を聞きに行く。約束あるので、まだ中味を書けないが、書けないのがもったいない面白い話がいろいろあった。先週来いろいろ見てて、読者側から見る新聞社と、ジャーナリストが見る新聞社と、経営者の見る新聞社の意味が違うところが大切だと思った。極端な話、読者は記事を読むために広告にも付き合ってるが、新聞社は広告を売るために記事を書いている...こんなこと書くとジャーナリズムの人に怒られるかな?でもこのあたりを正確に認識しないと意味のある分析にならないような気がする。 1999年3月9日(火) 戦略論のChakravarthy教授が沢山時間を取ってくれて議論をする機会をえた。いろいろな話題が出た。一つはInformati on economyがこれまでの経済や企業戦略の文脈の中で語れるのか、それともフレームワークそのものを変えなければいけないのか、という話題。当面の大問題としてインターネット関連の株式の価格をどう評価すればいいのかが分からない。評価方法が確立していないので、とんでもない価格がつき、それが将来のクラッシュにつながりかねないいう認識はこちらの学者にも共有されている。 一般の株式については80年代前半理論的に成立して1986年のクラッシュ以降に定着したstock asset pricing modelが適用されて、暴走する前にチェックがかかる仕組みがある程度できてきたと思う。しかし、それではインターネット関連株は全く語れない。情報と物財にコスト構造などで決定的な違いがあることは分かるが、ではその先にどのようなフレームワークを提示すればいいのか?財務の先生がたを応援して何とか理論がほしい。ないと市場にチェックがかからないで暴走する。危ない。 1999年3月8日(月) 雪がひどく通勤が大変そうだったのと、会合が何も予定されていなかったので、急遽、慣れない英語で苦労している子供の学校に行って参観した。地域で最高の評判を取ってる学校を選んだのでどれくらい標準的かは分からないが、確かにいい。28人クラスに担任がいるほかにいろいろなアシスタントが出たり入ったりして、特別な助けを必要としている子供についている。学校がいいと地域の不動産の価格があがり固定資産税の税収があがって学校がもっとよくなるサイクルがあって、郊外の町が教育に熱心だという関係があるように見える。 1999年3月4日(木) 自動車の契約更新や出張の手配など雑用で終わってしまった。切符の手配、ややこしい日程を組もうとするとまだ人間のエージェントを使う方がいいようだ。 1999年3月3日(水) NSFプロジェクトの打ち合わせにマーケティングのWells教授をお迎えした。メディア業界での広告の効果についての豊富な経験がどのようにホームページに活かせるか話をうかがう。インフォーマルな場での話なので詳しくは書けないが、広告の受け手へのインパクト(どれくらい記憶してくれるかではかる)には情報伝達度と好きか嫌いかの因子が大きく効く、印象に残るのと購買に結びつくのとは違う、商品の特質によって何が現実の購買に結びつくか違うなど、恐らくマーケティングの方々にはあたり前の話なのだろうが、我々にとってはなるほどと思う話が沢山きけた。関係性というこのプロジェクトの中心テーマも「関係がいいから買ってくれるとは限らない」とバッサリやられてしまった。ページの設計と関係性の関係をまず見て、関係性と売上を別に結びつけないといけないのだろう。実証するのはえらいことだ。 1999年3月2日(火) 新聞業界に興味を持って調べ始める。まずオンラインで図書館のデータベースを調べる。膨大な量のオンライン文献がPDFで入手できることを確認した。この間まで見出ししか手に入れられなかったものが、フルテキストで手に入る。そのインフラを大学間で共有している。これは早晩データベースを中心として日本の大学はアメリカの大学の子会社になってしまう。そも日本にいる時はバタバタ走りまわるばかりで何かを自分で調べるということがなかった。とても贅沢な時間を過ごしている。図書館のコピー機の前で何時間もコピーしていた昔がへんに懐かしい。それでもやはり現物が見えるのが嬉しくて書棚もうろうろした。英語以外の文献が大量にある。 1999年3月1日(月) 採用シーズンが終息しつつあって静かになってきた。研究室にとって懸案になっていたIS-World Japanページというのを作った。日本の情報システムや情報システム研究はほとんど海外に紹介されていない。それを紹介するためのホームページだ。今まで各国のものがあるのに日本がなかったので、小さなものでいいから早く立ちあげたかった。自分で HTMLを記述するのはとても久しぶり。途中までツール使っていたのだが、途中で不可解な動きをするので、ソースを見たら、無駄コードがいっぱい入っててわけが分からない。あきれて手作業で掃除しているうちに、小さなページなので全部ソースを見ながらやった方がいいという結論に達してテキストエディタでやってしまった。忘れてたタグを思い出すのにちょっと時間がかかったが、やはりコードが「見える」のは安心だ。オープンソースが好きな方はこういう感覚なんですね。 午後、手伝ってくれている学生と話をする。顧客間インタラクションの研究の土台となる文献サーチをしてくれた。社会学系の文献をいっぱい持ってきてくれた。 1999年2月28日(日) 少々風邪気味だったのと、原稿の締め切りをかかえていたので、一日家にいた。こういう時は定額制が非常に嬉しい。結局http://www.music.co.jpに行って有料の鉄腕アトムを見たりして、お金を使ってしまった。定額制は情報産業にとって決して減収にはならない...そのせいで原稿が2月中に書ききらなかった...新宅先生ごめんなさい。明日はちゃんと送ります。 1999年2月26日(金) Information Industry Initiative というプロジェクトの講演会に出る。"Data Mining and Potential Applications in e-Commerce", Prof. VipinKumar, Department of Computer Science and Engineering。知らない話はあまりでなかったが、改めて可能性の大きさを感じた。方法論的には仮説−検証型のロジックと仮説生成型のロジックの緊張関係について考えさせられた。暴力的に仮説を出してくる。昼にはまた採用試験をかねたワークショップ。名前は出してはいけないようだが、某コンサルティング会社にいる方。ネット上のconsumer behavior。消費者をセグメンテーションして、セグメントごとに電子商取引にどんな反応を示すかの研究。コンサル会社にいるだけに、学術研究としてはかなり問題あったが、発想は面白かった。 1999年2月25日(木) 自宅にADSLが来た。256Kの契約で月定額40ドルで常時接続!!実際はまだ空いているからとのことで実効640Kでる。US Westから人間が派遣されてつないでもらうことになっていたのだが、自分でつないでみたら驚くほどあっさりつながった。アナログ電話用外付けモデムと同じ大きさのADSLモデムを電話のジャックにつないで、PCとの間はリバースのイーサケーブルでつないで、PC上でIPを自動取得に設定して終わりである。10分くらいでできてしまった。 US Westの人が来たのだが、電話の側にノイズが入るという方にほとんど時間を使った。フィルタを入れて電話側にIPパケットが音として聞こえないようにする作業だ。留守電やら Caller IDやら入れているのが邪魔だったらしい。「問題あるなら電話はいらないです」と言おうと思ったのだが、やめておいた。PCSを二台も使ってるので、実際有線電話はなくても何とかなる。 DHCPで IPを局側でふってくれるということで、ハブを買ってつけたら二台めもあっさりつながった。ルータがないとだめかと思ってたので、思っていたよりさらに安上がりで済んでしまった。 1999年2月24日(水) ミネソタ大学がNational Science Foundationの助成を受けている研究プロジェクトの会合に参加した。電子商取引上における関係性マーケティングの研究。集まってきた研究者と、このテーマに関心を持つ企業の担当者が集まった場で、いくつかの研究が発表された。一つはホームページのベンチマーキング手法。ホームページにどんな評価基準がありえて、その評価基準で実際にアンケートを取ると、読み手の側に違う評価基準を重視するセグメントがいるのが浮き彫りになる。もう一つに因子分析をしてホームページの「パーソナリティ」を分類する手法などがあった。面白い道具が開発されつつある。 1999年2月23日(火) 採用試験を兼ねたワークショップがあった。Tomak, Altinkemer and Karaz,"Priority Pricing in Data Networks". ネットワーク料金に優先度別の料金体系を入れた時に、利益がどのような構造になるかという理論研究。この研究には興奮した。今まで、priority pricingがネットワーク活用にはいいと思いつつ、それが規模の経済性を生んで独占構造を作るのではないかと懸念していたのだが、そうはならないと言う。他にもいろいろ面白く重要なインプリケーションが沢山ある。問題は彼の論理がどれくらい正しいか、前提条件がどれくらい現実的かの二点だ。前者については経済学者が Tomak氏を雇うか雇わないかという視点で厳しめに読んでいろいろ突っ込んでいたが、少なくとも破綻はしてなかったように見えた。前提条件についても、それなりに現実を意識していろいろ違うパターンを試しているようだ。自分には経済学者としての水準を評価する能力がないので空振りするかもしれないが、私の目からは Tomak氏は重要人物になる可能性があるように思う。ウォッチしたい。 1999年2月22日(月) またワークショップがあった。某大学の方の発表。企業間にまたがる知識創造の話。サプライチェーンのパートナー間でどのように情報共有が行われて、それがどのように蓄積されていくか?問題意識はとても面白いのだが、いろいろなことを追いかけ過ぎて、焦点がぼけている感じがしたのがちょっと残念だった。どこかに絞ればいい研究になるにちがいない。 午後、こちらで助手をしてくれている博士課程生と話をする。アメリカでの電子取引に使用される決済手段について調べてもらっていたのだが、物財もデジタル財も圧倒的にクレジットカードだった。日本では物財について後払い振込み、先払い振込みなどが多く、デジタル財にはそこそこいろいろな非SSLクレジットカード系電子決済手段が使われているのにアメリカではほとんどクレジットカード(か無料)一色のようだ。この違い自体も面白くて研究対象になるのだが、今の自分の研究とは結びつかない。少し方向転換して顧客が発信する情報をビジネスモデルに組み込んでいる事例を集めてもらうことにした。 1999年2月20日(土) 車で20分くらいのところにあるCOMPUSAというお店に行った。本体を販売しているフロアは全体の1/6といったところであろうか?周辺ハードが1/4くらいか。あとはほとんどソフトウエア。デスクトップ型の安さとノートブック型での日本ブランドが目立つ。ノートのような商品はやはりディスプレーして見せた方が説得力があるということなのか? 1999年2月19日(金) MIS Research Centerのセミナーがあって参加した。スピーカーは大学の大型計算機センター長のMyron Lowe氏。産業でシステム部門の運営をやってきた方が今は大学の中央計算センターを運営している。テーマは"Rapid IT OrganizationalChange: What Works and What Doesn't"。このタイトル自体からも現在の情報システム進化に一番とまどっているのが情報システム部門であることがうかがえる。急激に変化する業界とシステム技術の中でいかにシステム開発の組織を運営すればいいのかという話だった。企業のシステム部門の方が大半の聴衆に Lowe氏を紹介した Wanninger教授が「皆さんの企業でイントラネット導入のイニシアチブを取ったのはシステム部門でしたか、システム部門以外でしたか?」と質問したところ圧倒的にシステム部門外の方に手があがったのが印象的だった。 1999年2月17日(水) スキー休暇から帰ってきたGordon Davis教授と話をする。数知れないほど優秀な研究者を育ててきた名伯楽だ。少し話して納得した。こちらが何をしたいのかを聞きながら、細かいコメントをこちらに出して反応をみることでさらにこちらの意図を引っ張り出す。話しているうちになるほど自分はこんなことをやりたかったのだと自分で気づく。すごい。 午後、TeledesicのVice Chairman and CEO, Admiral Bill Owensのプレゼンテーションがあった。Teledesicはボーイング、マイクロソフト、モトローラなどが出資して衛星を低軌道に大量に打ち上げ、ブロードバンドのコンピュータ・ネットワークアクセスを提供する計画だ。2004年のinfosphereの提供がキャッチフレーズ。サービスの重点としては、 bandwidth, latency and availabilityとのこと。大容量、遅延がない、確実に接続されるということか。地上のアンテナは4000ドル程度で送受信できるようにする。光ファイバが張れないところでも世界中カバーできる。電話換算すると世界中を一分4セントでつなげる料金体系とする。$20 billionの投資となる。アメリカのほかにヨーロッパ、ロシア、ブラジル、インドネシア、中国、インドを当初の重点国とする。世界中に拠点を持つ大企業、各国の大使館網を持つ政府などが顧客となる。SAPなどで世界中の拠点を結んでいる大企業というフレーズが何度も出た。遅延がでないことが売り物なので、mission criticalなネットワーク向き。有線のインフラがない途上国には安くサービスを提供するとも。日本は?という質問が出た。「とても重要な市場であると思っているがNTTやMPTがある国では新規参入ができない。誰と組めばいいのか分からない。」との返事だった。また、 N‐Starと SuperBirdと使用帯域が重なっており干渉するのも問題だとのことだ。「この二つを買収して、オペレーションを止めてそれらの会社にはTeledesicのサービスを無料で提供する」というかなり過激な発言が印象的だった。ビジネスとしての命運は非常に複雑な衛星間のパケット交換がちゃんと制御できるソフトを開発できるかにかかっているとのこと。このサービスに対する課税はどうするのかという質問が出され、しばらく議論になった。空にあるサービスに対してどの州が課税すればいいのか?同じようなことは国際的にも言えるのだろう。日本と中国の間の通信サービスであがった収入の税金はアメリカに落ちるということ?さらにアメリカじゃなくてどこか TaxHavenになった時にどうなるのか? 1999年2月16日(火) 子供を学校に入学させに行った。あえて日本人が誰もいない郊外の学校にした分だけ大変めずらしいらしいのと、日本にいるころから先生と相談して、子供同士で電子メールの交換をさせていたからだと思うが、もう有名人になっていた。学校に足を踏み入れたとたんにいろいろな人が子供の名前を呼びかけてきたのにびっくりした。施設をつれて回ってくださった。「ここは前に図書館と言ってたところで、今はメディアセンター」と言って見せて下さった部屋には、通常の図書館設備とともにマックが20台くらい並んでいる部屋が二つあった。クラスが20数名のクラスなので、2クラスが同時にコンピュータを使える環境のようだ。壁には Information Super Highwayという横断幕がかかげられている。その他に各教室に一台づつネットワーク接続されたコンピュータが設置されている。 1999年2月15日(月) 家族が日本から到着するので、学校は休んだ。迎えに行ってかえってきたら、今度アパートに入るDSL用のモデムが届いていた。外見はただの外づけモデム。拍子抜けするほど小さい。マニュアルを見たが難しい感じはしない。入るのが楽しみだ。 1999年2月13日(土) 小道具を買いたいと思ってOffice Depotに行った。ハイウエー沿いにウエアハウス式になっている。消耗品はダンボールごとラックにつまれておりバックヤードがない。ドックは見なかったが大型車で運びこめる構造になっているのは一目瞭然だ。これらならハンドリングコストが低いわけで、オフィス用品のようなハンドリングコストのかたまりのような商品なら激安ができる。実際安い。電子機器が入り口に最も近いところを4列占領し、紙製品を後ろに追いやっているのが印象的だ。 1999年2月12日(金) またリクルーティングのワークショップがあった。本日は二つ。 一つは"The Effect of Process Improvement on Quality, Cyle Time, and Effort in Software Product Development," Harter, Krishnan and Slaughter.「製造業においては品質向上とコスト削減はトレードオフではなく、同時達成できることになっているが、ソフトウエア産業ではやはりトレードオフだと信じられている。しかし、製造業と同じようにソフトウエア産業でも品質とコスト改善は両立しているはずだ」という認識のもと、品質改善手法の導入度合と品質(発見されるバグ)関係、そしてそれが製品完成までのスピードと必要工数に与える影響について研究し、仮説が支持されることを示した論文。面白かった。「どうしてそうなるのか」の説明がほとんどないところが少し気になったが、出発点としてはいいのではないだろうか? 二つめは引用しないでほしいとのことなので詳述は避けるが、オンライン金融サービスで無料版基本サービスと有料版拡張サービスが組み合わされた時にどのような価格政策をとれば消費者が食いついてくるかの研究。無料サービスでクリティカルマスを作って、有料サービスへ誘導するのだが、有料サービスの価格政策によってはうまくいかない。マイクロソフトのバンドリング政策にこの理論をあてはめるとどうなるかという議論で大いに盛りあがった。 1999年2月11日(木) CATVが入った。ケーブルモデムが使えるのかどうか聞こうかと思ったら、あっという間に帰っていってしまった。全般に電話会社の方が対応がいい。CATVより電話の方が競争が激しいからだろうと思う。 こちらにいる間に助手をしてくれる学生と話をした。博士の一年生。自分のやりたい研究の指導をしてくれる先生がいるかどうかえらく心配していた。僕もかつて自分の研究を先生に売り込んで歩いた記憶がある。買ってくれて、審査委員になってもらえる人がいなかったら卒業できないので大変だ。 二人で財及び取引プラットフォームの特性と決済手段の選択の関係について調べてみようと思ったのだが、どうやら日米でかなり大きな違いがありそうだ。日本でやったのと同じフレームワークで比較しようと思ったのだが、フレームワークそのものを見なおさないといけないかもしれない。違いはどこから来ているのだろう。 1999年2月10日(水) またリクルーティングのワークショップ。"A Theoretical and Empirical Investigation of Multi-item On-line Auctions," Bapna, Goes and Gupta. ネット上のオークションにおいてEnglish Auction とVickery Auctionのいずれが売り手の収益を最大化するか、という半分実証、半分実験の研究。比較の方法論的にちょっと問題があって、だいぶ突っ込まれていたが、問題の設定自体は面白い。 今日は突っ込みかたがミネソタ大学とハーバードとでだいぶ違うのが印象に残った。ここではサンプルバイアスやらコンストラクトやらが集中的に検証される。論理的な整合性と厳密性を大切にしている。ハーバードだったら、そのあたりはさておいて、オークションサイトのビジネス・モデルがどのようないきさつビジョンと戦略に基づいて構築されたかをフィールド検証することを要求しただろうと思う。それなしに表面の形式とオークション結果だけ見ても、電子商取引のようなみんなが実験をやっててどんどん変化する状況では、トレンドを見極めるために意味のある知見が得られない、といった議論。どれくらいフィールドの現実を捉えているかを重視するか、理論との整合性を重視するかの違い。どちらも大切だとは思う。ついハーバード的発想をしてしまうが、せっかくミネソタに来たのだからここの流儀を学ぼう。 そんな感想とは別に、改めて層の厚さの違いを思い知らされる。日本ではこのレベルの設問で電子商取引をとらえている研究はほとんど見たことがない。それが毎日のように発表され、討論されている。この厚みの差が3年後の競争力の差として現れたときが恐ろしい。 ちなみに、ついにケーブルテレビの申し込みをした。やはり僕の年代の人間はテレビがないと不安になってしまう...恐ろしいことだ。口車にのってHBOやらCinemaxがパッケージになっている契約を結んでしまった。翌日に入れてくれるとのこと。こんな田舎でも頼むとどんどんいろんなサービスが受けられる。くやしいけど日本は後進国としかいいようがない。 1999年2月9日(火) 学校のシステムがやっとうまく動くようになった。えらくややこしかった原因はやたらいろいろなサーバがあったことだった。原因は何年にもわたってサーバの導入をやってきたところにあるようだ。新しいサーバを導入する時に古いものを巻き取ればいいのだが、いろいろなクライアントが古いサーバを前提としていて、止めるに止められないという状況のようだ。典型的なinstalled base 問題ですね。大学が集中管理している仕組みと、ビジネススクールで管理している仕組みがダブりになってややこしいのも、どの大学でも一緒。自分の学校と同じ問題をかかえているのを見て同情するやら、ほっとするやら。 電子商取引の研究をやっている教授陣数人と話す機会を得た。ネット上のリレーションシップ・マーケティングの研究をやっている。かなり面白い。日本でも同じ調査ができるはずで比較できたらきっと面白い結果が出るだろう。マーケティングの人達と話さなくちゃ。 夜、インターネットテレビ会議システムnet@phoneで日本と話す。Netcom社の守安さんが相手をしてくれた。アナログ56Kで画像も音声も結構通る。画像を止めると音もまずまず安定する。これが市内料金定額制でできるので嬉しい。電話会社はたまらないだろうけど。長距離系のNCCはどうするのだろう。 1999年2月8日(月) 訪問しているDepartment of Information and Decision Sciencesのリクルーティングのために多くの研究者が訪問し、workshopで研究発表をしている。今日は二つあって参加した。 一つは"The Nature of Competition in Electronic Markets: An Empirical Investigation of Online Travel Agent Offerings" Eric Clemons, Il-HornHann and Lorin M. Hittというペーパー。インターネット上で価格が最低価格に収束していない、という論文。なぜか、という設問には仮説を提示しているだけだが、さまざまな要因(使っているデータベースなど)をコントロールしながら、マーケティング・ポリシーとして価格の差異化が行われている事実だけを実証している。少なくとも消費者はそれを受け入れている。探索コストが下がることによって価格が最低のところに収束するという仮説は少なくとも現時点においては支持されない。 もう一つは"Performance Evaluation of General and Company Specific Models in Software Development Effort Estimation" Katrina Maxwell, Luk Van Wassenhove and Soumitra Dutta. これはソフトウエア生産のコストの見積りをより正確に行うための予測モデルの構築の研究。理論的な厳密さには限界があるが、実務的には必要性の高い研究だ。 それにしても、研究の厚みの違いを感じる。実証研究がどんどん行われ、過去の理論との不整合が発見され、それをベースとした理論構築が行われ、また実証研究のデザインが行われるという循環が層の厚い研究者によって毎日繰り返されている。リサーチ重視の学校に来たのはやはり正解だった。このようなリサーチが産業にとってのインフラストラクチャとなるという認識が産業界にあって、学校もその役割を認識しながらやっているところも学びたい。 1999年2月7日(日) 自見先生が予算委員会で質問をされるということで、インターネットの衆議院放送を見ようと思ってつないだのだがいつまでたっても「開会されしだい中継を行います。」という表示のままだった。食事をしながら一時間くらい待ったがだめだったので諦めた。何が理由だったのだろう? 1999年2月6日(土) スプリントのPCSサービスの契約をする。端末をRadio Shackで買って、電話でセンターを呼んでactivateする。実は金曜日の夜に契約しようとしたのだが、コンピュータダウンでできないと言われた。この辺はアメリカだなぁ。結局選択しなかったが、 prepaidという料金先払いシステム(払ったぶんだけ使える)というのがある。スクラッチカードを買ってコードを入手する仕掛け。インターネットがあればテレビはいらないと思ってCATVも契約しないでいたのだが、突然見たくなってビデオ屋さんに行った。こういうところでもいちいちsocial security numberを取られる。そのかわりに信用審査がかなり迅速なのだが、国民総背番号制の恐ろしさをちょっと感じる。ビデオショップにDVDがかなり前面にならんでいたのが目をひく。 1999年2月5日(金) 学校のMISRC (management information system research center)主催でSoftLockという会社の講演を聞いた。ドキュメントの一部分に暗号でロックをかけて部分的に見える状態でコピーフリーで流通させ、ロックをかけた部分を解除したい場合には鍵をSoftLock社から購入する仕掛け。解除したコピーを別のハードディスクに移すとまたデモ版(ロックがかかっている状態)に戻るというところがミソだ。全てのドキュメントで可能なわけではなくPDF,MPEG3,HTMLなどで可能らしい。 技術の説明に先だって、情報の経済が物財の経済と構造的に異なっており、情報が無料になる傾向があるといった説明があった後に、「広告モデルだけだと大量のトラヒックを集められる文章だけが生き残ることになる。そうでないドキュメントはやはり有料で売れるようにしないといけない。」という問題提起があって、ちょっと考えさせられた。 議論が沸騰したのはプライバシー保護問題だ。コピーを受け取った人が鍵のサーバをもらいに来る仕掛けで、前のコピーも鍵を貰いに来たときに印がつけられるので、SoftLock社ドキュメントの流通経路がわかる、「誰と誰がつながっているか」という関係性のデータベースを作成できることだ。それを「売ってもいいだろうか」という問いかけがなされ、プライバシー論議で結構緊張感のあるやりとりがあった。アメリカは憲法に政府が個人のプライバシーを侵害してはいけないという条項があるものの、民間同士のプライバシー保護の規定があまりない。 Web上のマーケティングツールが劇的に進化しつつあり、それに伴ってプライバシー問題が火を吹く日が急速に近づいているという認識を強くもった。日本ではどれくらい認識されているだろうか?これは危ない。ちゃんとポリシーを持って何はやってはいけないかをはっきりさせないと、逆に全部つぶされてしまう。 ちなみにMISRCというのはアメリカの経営学の分野に経営情報システムという領域を切り拓いたパイオニア的な組織である。一時の勢いはないが一時は全米の経営情報システム研究の総本山的な役割をになった。こういうのが片田舎の大学で生まれるところがこの国の底力だと思う。 1999年2月4日(木) 学校のシステムでてこずる。ボイスメールシステムが重要な役割を演じているのだが、集中管理されていて、どうすれば前の人のパスワード管理を解除できるのか分からない...結局簡単な話であるはずのわりに半日騒いで解決しなかった。 ミネソタ大学のメールアドレスも作ってもらったのだが、初期パスワードが分からなかったのと、POP3ではなくて学校の準備する環境に合わせなければいけなかったりして結局できないまま一日が終わってしまった。関係者みなさんとっても親切だが、全貌を把握している人がいなくて苦労する、というアメリカではありがちな状況だった。結局、学科所属のシステム担当のJarrod君がIP接続の設定だけしてくれて、日本のサーバにアクセスできるようにしてくれた。 夕方家に帰ってDSLの申し込みをした。ミネアポリスというのはかなりな田舎と認識しているが、そこにまでどんどんDSLが広がっている実態がある。定額40ドルで256Kという基本サービスを申し込んだ。料金は嬉しい。事情通に聞くと、これだけのスピードと料金でどんどん進めているのはCATVインターネットが40ドル程度の料金でどんどん広がっているからだそうである。やはり競争があるのが一番いいと納得した。アメリカにメールボックスが欲しかったのでついでにプロバイダ契約をした。電話受付の人が沢山プロバイダの名前をあげはじめたのだが、おなかが空いていたので、あなたのところのでいい、とUSウエストのサービスを受けることにしてしまった。定額19.50ドルでメールアドレス2つと www用ディスクスペースを...(しまった何メガか聞くの忘れた)。2月25日開通といわれた。 1999年2月3日(水) 到着。ミネアポリス郊外の町、ゴールデンバレーという町に借りたアパートに入る。この場所に決めた理由は小学校が良かったから。来ることが決まった時点でここを知っている人に片端からどの小学校がいいか聞いて、わかった時点でその近辺のアパートを借りた。みんな同じことするらしく、学校には情報分野の大学関係者の集積があるようだ。よくシリコンバレーで小学校で話が進むという話があるが、さもありなんと納得した。知識産業を集積させるためには良い小学校を作るのが出発点なんだ。 家に入ると日本から申し込んであったアナログ電話がとりあえず開通していた。20ドル程度で市内定額制である。でもはじめは指が従量制でどうも活用しきれない。 とりあえず挨拶をしに大学に行った。去年建ったばかりのきれいな建物。いまアメリカは大学間の競争がはげしくて、設備の充実度を競っている。貰った研究室も当然10baseTのコンセントが複数きている。持っていった液晶デスクトップがめずらしいらしく、変に感心された。 家に帰ったらすぐにDSLを申し込もうと思っていたのだが、眠くて寝てしまった。 |
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