沼上幹、「われらが内なる実証主義バイアス」、組織科学、Vol.33、No.4、2000年、32-44ページ.
[要旨]
現代日本における経営学的研究には<極端な実証主義(経験主義)>的バイアスが存在しており,今後,大胆な理論的アイデアに基づいたメカニズム解明努力を活発化する必要がある,というのが本稿の基本的メッセージである
<経験主義と合理主義>
筆者はまず経験主義と合理主義について,1)経験主義とは,人間が日々直面して素朴に知覚している経験的事実こそが知識の源であるという立場をとるもの,2)合理主義とは,経験的事実はその背後にあるメカニズムが生み出した結果に過ぎず,人間は理性を手かがりにしてその背後のメカニズムを知ることができる,という立場をとるものとして整理し,経験的な事実を事象どうしの必然的な,法則的連関として捉えようとしている現代の科学は,この2つの思想的立場を混在させたものであり,極端な経験主義でもなければ,極端な合理主義でもないとしている。そのうえで,自然科学の領域ではこの両方を重視している立場が支配的であるのに対して,社会システムに関する研究領域では,とりわけ近年,経験的規則性確認への偏重がみられると警鐘を鳴らしている。具体的に,現代の社会研究に対して,標準化されたテキスト的批判が大量に出現し,なぜという問いが背景に退いてしまっている,言い換えれば,「経験的規則性の確定こそが最大の関心事である」というメッセージが全面に強調されており,「理論的な概念が混乱している」といった批判がもっと出現すべきであるとしている。
筆者は,経験主義的な志向性と合理主義的な志向性の相互作用,バランスこそが必要であると主張し,「実証主義バイアス」に対して警鐘を鳴らすことを目的としている。ここでいう「実証主義バイアス」とは,経験主義の究極の姿としての初期論理実証主義にみられるような観察側への過度の重点移動をさしている。タテマエの理論ではホッパー(批判的合理主義:論理実証主義の成果を十分取り入れながら,そこに潜む問題点を批判した立場)の考え方を信じていると主張しながら,その実行理論においては初期の論理実証主義的に行動している人々の多さに危惧を覚え,合理主義の立場,すなわち,1)知的に大胆な仮説の構築,2)メカニズムの解明に対する志向性,3)直接観察可能でなくてもそれを仮定することで多様な事象を説明できるような理論的アイデアの重視,の立場に適切な地位を確保するべきであるとしている。
<研究方向性の見取り図>
次に筆者は,研究作業を実行する際,あるいは他者の研究を評価する場合や研究指導する際に要求される判断基準を見取り図としてあらわす。これは,縦軸が経験主義的評価,横軸が合理主義的評価と(ラフに)対応する指標で作成されており,研究の方向性は4タイプに整理される。「理想的な研究」は,そのなかで最も原点から遠い,縦軸の高位(オリジナル・データを活用)−横軸の高位(創造志向)の組み合わせからなる研究である。筆者は,こうした見取り図が存在しないこと自体が経営学研究者の間における方法論的理解の混乱を招いており,この理解の混乱自体が近年の<極端な実証主義>的バイアスが生じるための素地を提供してきたと位置付けている。横軸と45度をなすベクトルを最適発展経路とした場合,実証主義バイアスはそのベクトルが縦軸方向に接近するかたちでぶれることで表現される。こうした見取り図上の左上側へと評価軸をシフトさせ,さらにそれを強化させている要因として,@1970年代末から展開されてきた文献研究否定運動,Aほぼ同時期から活発化してきた経済学的な企業研究,B方法論的議論に関する理解の混乱,C近年の大学院大学化による大学院生の急増(研究者養成プロセスの<大量生産工程>化への圧力)が挙げられている。
[コメント]
新しい実態を把握しそこから既存の理論の矛盾点を検証する場合,「実態を把握」する客観性が重要なテーマとなろう。一方で,既存の理論の矛盾点を検証し,新しい実態として確認できるかどうかを試す場合,理論的矛盾が実現化しない理由を検証することの意義について考えてみたい。(2004年5月31日 坂井 健太郎)