Lessig, Lawrence, “Free Culture”, Penguin USA, 2004. (山形浩生・守岡桜(訳),『Free Culture』,翔泳社,2004年.)
エリック・エルドレッドが1999年1月に、前年に成立した著作権延長法(通称ソニー・ボノ法)が違憲であるという訴訟を起こした。それにレッシグがコミットし、2003年1月に最高裁で敗訴したことが本書執筆の源になっている。
敗因は「わたしの頑固さ、譲歩の拒否」(p.285)だ。著作権法の延長が学問および有用な技芸の進歩を妨げてきたことを示す実証的証拠があるようには思われないのだが、という判事の良心的な問いに対し、「判事、わたしは実証的な申し立てをしてはいません」(p.279)とレッシグは答えてしまったのだ。レッシグは憲法解釈の理屈にこだわった。「害を見せてやる必要がある −情熱的に害を見せつけてやれ。そうでないと勝てる見込みはまったくないぞ」(p.277)という弁護士の事前のアドバイスがあったにもかかわらず。
そのような背景から、本書は「害」という章を含む「謎」という部分と「バランス」というエルドレッド裁判の敗因分析とクリエイティブ・コモンズという新しいライセンス方式を提案する部分とが中心になっている。結論としては、知的財産についての全部の権利を持つか、全部の権利を放棄するかという「すべて」か「ゼロ」かという議論は終わりにして、バランスを考え、バランスをとることを可能にする新たな仕組みを作ろう、ということだ。
「CODE」が理論の書であり、「コモンズ」が実践の書なら、「FREE CULTURE」は情熱の書といえる。それは想定する読者の広さとも関係している。前述の2つの部分の前段として「『海賊行為』」という冒頭の部分では、録音、ラジオ、ケーブルテレビ、ビデオという4つの事例についての司法と議会の反応が分析され、常に独占を認めることの利益と不利益のバランスがアメリカでは配慮されてきたことが述べられている。さらに、「『財産』」というそれにつづく部分では、モノは誰かに取られたら自分の手元からはなくなるが、アイデアは誰かに取られても自分の手元に残るものだという知的財産の特殊性が丁寧に述べられる。これらの部分の事例や引用の使い方は巧みであり、説得力があるレトリックとなっている。ただし敗訴の原因の一つとして挙げられる、大衆レベルの知的財産権への現時点での浅薄な理解(つまり訴訟は時期尚早であったという見解)を補う部分であるだけにややむなしさが残る。
■ コメント・論点
・ 創造性や文化を守るためにはパブリック・ドメインが必要であるというビジョンに基づき、自身の主張を通すために、歴史を遡り、事例や引用を用い、簡易な文体で説得力をもって表現するという意味ではお手本となるものである。ただしちょっと理屈から遠ざかりすぎという印象もある。
・ 法や裁判所が正義として機能することを学生に教える教師としての誇りと、理屈にこだわりすぎた頑固な学者である自分に対する怒りが交錯する部分の記述(p.276〜p.289)には心が動かされる。
・ レッシグのフレームワークである、法(政治)・規範(社会心理)・市場(経済/ビジネスモデル)・アーキテクチャ(技術)という4つの要素に目配りをしながら、論を展開することが自分の研究にも必要という認識を改めて持った。
(2004年9月27日 佐々木裕一)