Hayek, F. A., “The Use of Knowledge in Society”, American Economic Review, XXXV, No.4, pp.519-530, 1945.(「社会における知識の利用」,田中真晴・田中秀夫(編訳),『市場・知識・自由』,ミネルヴァ書房,1986年.)
ハイエクによる、知識の分散的処理と市場の役割についての1945年の論考である。
背景にあるのは1930年代からオスカー・ランゲ、フォン・ミーゼスらによって繰り広げられた社会主義経済計算論争であるが、「われわれがこの(社会が直面する経済の)論理的問題を解くために発展させてきた経済計算は、社会の経済問題の解決に向けての重要な一歩であるけれども、問題の解決への答をまだ与えはしない。このことの理由は、経済計算の出立点となる「データ」が社会全体については、それにふくまれた意味を算出できるようには、ひとりの人間の知性に対して、けっして「与えられ」ていないし、そのように「与えられ」ることはまったく不可能だからである」(p.53)と経済計算が可能だとする論客たちの前提をまずハイエクは否定する。
これがなぜかと言えば、「私が問題にしてきた知識の種類は、その性質上、統計には這入りえないものであり、したがって、いかなる中央当局にも統計的形式では伝達されることができない種類の知識である」(p.62)という具合に、現場にある、計量困難な、しかも時々刻々と変化するデータあるいは知識こそが社会を動かしていると彼が考えるからである。
ゆえに、「問題はまさに、資源の利用の範囲を誰かひとりの人の管理能力の範囲を超えて、いかにして拡大するかであること、そしてそれゆえにいかにして意識的管理の必要を省くか、そしていかにして、個々人にかれらの為すべきことを誰かが告げる必要なしに、望ましいことをさせるような誘因を与えるか、である」(p.69)となるわけであるが、そこに市場が登場する。すなわち、現場にある、計量困難な、しかも時々刻々と変化する情報を価格というシグナルに収斂させ人的な命令系統を通すことなく、調整機能を果たす情報の伝達機構としての市場こそが有用であるという主張である。さらに最後の部分において、「完全情報」を前提とする、市場の機能に対する静的な均衡分析アプローチの限界について論じている点にも深い洞察がある。
■ コメント・論点
・ 現場にある、計量困難な、しかも時々刻々と変化する情報を価格というシグナルに収斂させ人的な命令系統を通すことなく、調整機能を果たす情報の伝達機構としての市場、という見方は今日では常識的となっているが、当時としては卓見であったに違いない。
・ 市場を前項のように捉えた上で、ITを活用することで「完全市場になる」という論が90年代末に一世を風靡したが、それは「完全市場にわずかに近づく」という程度のものでしかないという見解に落ち着きつつある。つまり計量困難な、しかも時々刻々と変化する情報は依然現場にあり続けているのだ。しかし逆にいえば、現場に遍在していた情報を集約し、ある程度定量化し(情報そのものの市場の誕生と言えるかもしれない)、人びとの合理的な意思決定に対してITが部分的に貢献しているということもまた事実である。
・ 本稿は大きく言えば、設計主義、計画主義への批判と捉えられることがあるが、「情報市場」の設計について、ハイエクはどのように考えるだろうか?
(2004年11月15日 佐々木裕一)