Hayek,F.A., “The Use of Knowledge in Society”, American Economic Review, 1945. (田中真晴・田中秀夫(訳),「社会における知識の利用」,『市場・知識・自由』,第2章,pp. 52-76,ミネルヴァ書房,1986年.)
[要旨]
社会の経済問題の根本は,「どの人にもその全体性において与えられない知識を,どのように利用するかの問題」(p.54)であり,経済理論と経済政策に関する議論の多くはこのことに対する誤解から生じている。組織されない厖大な知識,時と場所の特殊情況についての知識は軽視されているが,しかしながら,この種類の知識から得る利益は最新の科学的発見の使用と全く同じく重要であり,そうした特殊情況における変化に急速に対応する問題こそが社会の経済問題であるといえる。中央主権的,非集権的,その中間にある組織された産業(独占体)の中で,誰が経済計画の主体になるかは,現存する知識をより完全に利用することに対する期待にかかっている。こうした種類の知識は小さな相違は捨像される統計的形式では伝達されえないため非中央集権化が求められる。ここで関心事となるのは,「現場の人」の「直接的知識の範囲を超えるところで生起する事象のどれが,かれの直接的意思決定に関連があり,そして,かれが知る必要があるのは,それらのうちのどれだけか」(p.64)という点であるが,価格システムの重要な事実,すなわち,「一種のシンボルによって,もっとも本質的な情報だけがつぎつぎに関係者だけに伝えられる」(p.67)ことと類比することで,各参加者が正しい行動をとるために要する知識がいかに少ないものであるか(知識の経済性)を理解できる。「正常な」水準に維持するほど「完全」には機能しないにしても,各参加者を正しい方向へ動かすこうしたメカニズムは「人間がそれを理解することなしに偶然に出会って見つけた後に,利用することを学んだ形成物のひとつ」(p.70)である。ここで出会う問題,すなわち,「資源の利用の範囲を誰かひとりの人の管理能力の範囲を超えて,いかにして拡大するかであること,そしてそれゆえにいかにして意識的管理の必要を省くか,そしていかにして,個々人にかれらの為すべきことを誰かが告げる必要なしに,望ましいことをさせるような誘因を与えるか」(p.69)は,経済固有なものではなく,すべての社会科学の中心的理論問題を構成するものである。シュンペーターがいうように,すべての事実が一個の知性に与えられるとする時点で,問題は追い払われてしまい,意義あることのすべては無視されてしまう。「人間の知識の不可避的な不完全さと,その結果として生じる,知識が絶えず伝達されて獲得されるための過程の必要性」(p.74)こそが,現象の本質的な部分である。
[コメント]
相互作用のなかで個を捉えて観察することから気付く問題は、それらの相互作用によって構築されている全体として捉えたものの中ではどのように働くのか。問いをくみ上げるうえで、個人が語ることを全体の中で捉えなおすことの重要性を意識させられる。
(2004年11月15日 坂井 健太郎)